劉国正(リュウ コクセイ(リュウ グオジョン)、Liu Guozheng、1980年3月7日 - )は、中華人民共和国の卓球選手。武漢出身。身長168cm、血液型O型。 6歳から卓球を始め、現在中国ナショナルチーム所属。主に世界選手権団体戦で中国の優勝に大きく貢献しているが、2006年の第48回世界卓球選手権団体戦ブレーメン大会では、中国代表からはずされた。男子シングルスの成績も安定していて、また混合ダブルスでもとペアを組んで各大会で上位に入っている。 精神力の非常に強い選手で、その例として2001年の第46回世界選手権大阪大会の団体戦準決勝の対韓国戦において、両国2勝2敗のタイで迎えたラストでの金擇洙との試合があげられる。劉は1セット目を一進一退の攻防を繰り返しながらも落とした。2セット目も粘りながらも追いつけず20-19とマッチポイントを握られた。しかしそこから驚異の粘りを見せ3度マッチポイントを取られながらも24-22で2セット目を奪取。最終セットも離されては追いつきのシーソーゲームで、またも金が20-19とマッチポイントを握る。しかし、劉がデュース(20-20)に追い付き、結局4度のマッチポイントを凌いで25-23で勝利した。計7回ものマッチポイントを凌いだこの試合は、中国国内で“今世紀最高の試合”と評され、劉国正も“奇跡の男”や“民族の英雄”と呼ばれた。

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  • 劉国正(リュウ コクセイ(リュウ グオジョン)、Liu Guozheng、1980年3月7日 - )は、中華人民共和国の卓球選手。武漢出身。身長168cm、血液型O型。 6歳から卓球を始め、現在中国ナショナルチーム所属。主に世界選手権団体戦で中国の優勝に大きく貢献しているが、2006年の第48回世界卓球選手権団体戦ブレーメン大会では、中国代表からはずされた。男子シングルスの成績も安定していて、また混合ダブルスでもとペアを組んで各大会で上位に入っている。 精神力の非常に強い選手で、その例として2001年の第46回世界選手権大阪大会の団体戦準決勝の対韓国戦において、両国2勝2敗のタイで迎えたラストでの金擇洙との試合があげられる。劉は1セット目を一進一退の攻防を繰り返しながらも落とした。2セット目も粘りながらも追いつけず20-19とマッチポイントを握られた。しかしそこから驚異の粘りを見せ3度マッチポイントを取られながらも24-22で2セット目を奪取。最終セットも離されては追いつきのシーソーゲームで、またも金が20-19とマッチポイントを握る。しかし、劉がデュース(20-20)に追い付き、結局4度のマッチポイントを凌いで25-23で勝利した。計7回ものマッチポイントを凌いだこの試合は、中国国内で“今世紀最高の試合”と評され、劉国正も“奇跡の男”や“民族の英雄”と呼ばれた。 2005年の第48回世界卓球選手権個人戦ではティモ・ボルを4-3で破った。2007年の第49回世界卓球選手権個人戦終了後、現役を引退した。 (ja)
  • 劉国正(リュウ コクセイ(リュウ グオジョン)、Liu Guozheng、1980年3月7日 - )は、中華人民共和国の卓球選手。武漢出身。身長168cm、血液型O型。 6歳から卓球を始め、現在中国ナショナルチーム所属。主に世界選手権団体戦で中国の優勝に大きく貢献しているが、2006年の第48回世界卓球選手権団体戦ブレーメン大会では、中国代表からはずされた。男子シングルスの成績も安定していて、また混合ダブルスでもとペアを組んで各大会で上位に入っている。 精神力の非常に強い選手で、その例として2001年の第46回世界選手権大阪大会の団体戦準決勝の対韓国戦において、両国2勝2敗のタイで迎えたラストでの金擇洙との試合があげられる。劉は1セット目を一進一退の攻防を繰り返しながらも落とした。2セット目も粘りながらも追いつけず20-19とマッチポイントを握られた。しかしそこから驚異の粘りを見せ3度マッチポイントを取られながらも24-22で2セット目を奪取。最終セットも離されては追いつきのシーソーゲームで、またも金が20-19とマッチポイントを握る。しかし、劉がデュース(20-20)に追い付き、結局4度のマッチポイントを凌いで25-23で勝利した。計7回ものマッチポイントを凌いだこの試合は、中国国内で“今世紀最高の試合”と評され、劉国正も“奇跡の男”や“民族の英雄”と呼ばれた。 2005年の第48回世界卓球選手権個人戦ではティモ・ボルを4-3で破った。2007年の第49回世界卓球選手権個人戦終了後、現役を引退した。 (ja)
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  • 劉国正(リュウ コクセイ(リュウ グオジョン)、Liu Guozheng、1980年3月7日 - )は、中華人民共和国の卓球選手。武漢出身。身長168cm、血液型O型。 6歳から卓球を始め、現在中国ナショナルチーム所属。主に世界選手権団体戦で中国の優勝に大きく貢献しているが、2006年の第48回世界卓球選手権団体戦ブレーメン大会では、中国代表からはずされた。男子シングルスの成績も安定していて、また混合ダブルスでもとペアを組んで各大会で上位に入っている。 精神力の非常に強い選手で、その例として2001年の第46回世界選手権大阪大会の団体戦準決勝の対韓国戦において、両国2勝2敗のタイで迎えたラストでの金擇洙との試合があげられる。劉は1セット目を一進一退の攻防を繰り返しながらも落とした。2セット目も粘りながらも追いつけず20-19とマッチポイントを握られた。しかしそこから驚異の粘りを見せ3度マッチポイントを取られながらも24-22で2セット目を奪取。最終セットも離されては追いつきのシーソーゲームで、またも金が20-19とマッチポイントを握る。しかし、劉がデュース(20-20)に追い付き、結局4度のマッチポイントを凌いで25-23で勝利した。計7回ものマッチポイントを凌いだこの試合は、中国国内で“今世紀最高の試合”と評され、劉国正も“奇跡の男”や“民族の英雄”と呼ばれた。 (ja)
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