函館 大経(はこだて だいけい〈ひろつねと読むこともある〉、弘化4年(1847年) - 明治40年(1907年))は、日本のホースマンの始祖のひとりとされる人物。元大日本帝国陸軍軍人、北海道開拓使職員、北海道庁職員。 日本、とくに北海道における馬術・競馬・馬の生産の発展に大きく貢献し、現代では「伝説の馬術師」ともして言い伝えられる。蛯子末次郎、とともに「」のひとりに数えられる。様似場所幌満(現在の北海道様似郡様似町)出身。出生時の氏名は斎藤義三郎で、小野義三郎、箱館義三郎、次いで函館大経と改名した。