作兵衛(さくべえ、貞享5年2月10日(1688年3月11日) - 享保17年9月23日(1732年11月10日))は、江戸時代の伊予国松山藩筒井村(現在の愛媛県松前町)の農民である。飢饉の折に種もみを口にすることなく餓死したため、後世に義農作兵衛と称された。下見吉十郎、とともに伊予の三農と称される。