伊庭 時言(いば ときのぶ、1794年(寛政6年) - 1853年(嘉永6年))は、江戸時代後期の国学者。通称は朔次郎、号は桂園。下総国葛飾郡椿村出身。 岸本由豆流に師事して国学の研鑽に励み、学者として頭角を現す。黒川春村と交流があり、黒川の随筆の中にも度々その名が登場する。歴史上の歌人達の事績を集積した事典「」や、文禄三年八月までの歌合の年次、名目などを年表化した「」などの著作を認めたと、『』で詳述されているが、それらの著作は後に散逸してしまい、現在の所在は明らかとなっていない。

Property Value
dbo:abstract
  • 伊庭 時言(いば ときのぶ、1794年(寛政6年) - 1853年(嘉永6年))は、江戸時代後期の国学者。通称は朔次郎、号は桂園。下総国葛飾郡椿村出身。 岸本由豆流に師事して国学の研鑽に励み、学者として頭角を現す。黒川春村と交流があり、黒川の随筆の中にも度々その名が登場する。歴史上の歌人達の事績を集積した事典「」や、文禄三年八月までの歌合の年次、名目などを年表化した「」などの著作を認めたと、『』で詳述されているが、それらの著作は後に散逸してしまい、現在の所在は明らかとなっていない。 (ja)
  • 伊庭 時言(いば ときのぶ、1794年(寛政6年) - 1853年(嘉永6年))は、江戸時代後期の国学者。通称は朔次郎、号は桂園。下総国葛飾郡椿村出身。 岸本由豆流に師事して国学の研鑽に励み、学者として頭角を現す。黒川春村と交流があり、黒川の随筆の中にも度々その名が登場する。歴史上の歌人達の事績を集積した事典「」や、文禄三年八月までの歌合の年次、名目などを年表化した「」などの著作を認めたと、『』で詳述されているが、それらの著作は後に散逸してしまい、現在の所在は明らかとなっていない。 (ja)
dbo:wikiPageID
  • 1912221 (xsd:integer)
dbo:wikiPageLength
  • 437 (xsd:nonNegativeInteger)
dbo:wikiPageRevisionID
  • 86264189 (xsd:integer)
dbo:wikiPageWikiLink
dct:subject
rdfs:comment
  • 伊庭 時言(いば ときのぶ、1794年(寛政6年) - 1853年(嘉永6年))は、江戸時代後期の国学者。通称は朔次郎、号は桂園。下総国葛飾郡椿村出身。 岸本由豆流に師事して国学の研鑽に励み、学者として頭角を現す。黒川春村と交流があり、黒川の随筆の中にも度々その名が登場する。歴史上の歌人達の事績を集積した事典「」や、文禄三年八月までの歌合の年次、名目などを年表化した「」などの著作を認めたと、『』で詳述されているが、それらの著作は後に散逸してしまい、現在の所在は明らかとなっていない。 (ja)
  • 伊庭 時言(いば ときのぶ、1794年(寛政6年) - 1853年(嘉永6年))は、江戸時代後期の国学者。通称は朔次郎、号は桂園。下総国葛飾郡椿村出身。 岸本由豆流に師事して国学の研鑽に励み、学者として頭角を現す。黒川春村と交流があり、黒川の随筆の中にも度々その名が登場する。歴史上の歌人達の事績を集積した事典「」や、文禄三年八月までの歌合の年次、名目などを年表化した「」などの著作を認めたと、『』で詳述されているが、それらの著作は後に散逸してしまい、現在の所在は明らかとなっていない。 (ja)
rdfs:label
  • 伊庭時言 (ja)
  • 伊庭時言 (ja)
prov:wasDerivedFrom
foaf:isPrimaryTopicOf
is owl:sameAs of
is foaf:primaryTopic of