人見 蕉雨(ひとみ しょうう)、ないし、人見 蕉雨斎(ひとみ しょううさい、1761年(宝暦11年)- 1804年(文化元年))は、江戸時代の日本の国学者、出羽国久保田藩の藩士。名は寧、ないし、藤寧。字は子安、通称は常治、ないし、但見とされる。 様々過去の記録や伝聞を書きとどめた著書を残し、特に『黒甜瑣語(こくてんさご)』などで知られる。 数え44歳で没し、に葬られた。