享保の大火(きょうほうのたいか)は、1724年(享保9年)3月21日に大坂で発生した大規模な火災。火元の金屋治兵衛の祖母の名から妙知焼け(みょうちやけ)とも呼ばれる。 当時の大坂市街の3分の2、実に11765軒の家屋を焼き尽くし、293人の死者を出した。大坂夏の陣や大阪大空襲を除けば、大阪史上最大の規模の火災と言える。 のちの大塩焼け・とともに「三度の大火」と呼ばれて大阪の人々に長く語り継がれた。明治末の北の大火の際には、これらの大火を思い起こした人が多かったといわれる。