井桁 裕子(いげた ひろこ、1967年10月12日 - )は、東京都出身の人形作家。 1991年、武蔵野美術大学視覚伝達デザイン学科卒業。大学在学中に日本創作人形学院にてに球体関節人形を学ぶ。大学卒業後はデザイン会社に勤務するかたわら球体関節人形を制作、グループ展などで発表する。 1996年、自身の社会性において自分の身体を正しく把握できないことへの危機感から「セルフポートレートドール」として自分をモデルにした球体関節人形を制作。女性の身体の「見る・見られる」主体と客体の問題に注目する。その後、友人をモデルに肖像の人形を制作し始める。以来、現実に出会った人物をモチーフにした一連の「肖像人形」の制作につながっていく。 2003年の個展に続き、2004年に東京都現代美術館での「Dolls of INNOCENCE 球体関節人形展」に参加。そこで《闘病日誌ー音楽家・金田真一氏の肖像人形》などを展示。同年、デザイン会社を退職、イラストレーターとして独立する一方で、作家活動を本格的に開始する。 2005年、和紙による張り子や桐塑などの、丈夫で環境負荷の少ない素材での制作を学ぶため「四谷シモン人形学校()」に入学。映画監督・坪川拓史の劇場用長編映画「アリア」(2006)に四谷シモンが出演、それに共演する人形の制作を手がける。同監督の次の長編映画「ハーメルン」(2013)にも人形制作で参加。

Property Value
dbo:abstract
  • 井桁 裕子(いげた ひろこ、1967年10月12日 - )は、東京都出身の人形作家。 1991年、武蔵野美術大学視覚伝達デザイン学科卒業。大学在学中に日本創作人形学院にてに球体関節人形を学ぶ。大学卒業後はデザイン会社に勤務するかたわら球体関節人形を制作、グループ展などで発表する。 1996年、自身の社会性において自分の身体を正しく把握できないことへの危機感から「セルフポートレートドール」として自分をモデルにした球体関節人形を制作。女性の身体の「見る・見られる」主体と客体の問題に注目する。その後、友人をモデルに肖像の人形を制作し始める。以来、現実に出会った人物をモチーフにした一連の「肖像人形」の制作につながっていく。 2003年の個展に続き、2004年に東京都現代美術館での「Dolls of INNOCENCE 球体関節人形展」に参加。そこで《闘病日誌ー音楽家・金田真一氏の肖像人形》などを展示。同年、デザイン会社を退職、イラストレーターとして独立する一方で、作家活動を本格的に開始する。 2005年、和紙による張り子や桐塑などの、丈夫で環境負荷の少ない素材での制作を学ぶため「四谷シモン人形学校()」に入学。映画監督・坪川拓史の劇場用長編映画「アリア」(2006)に四谷シモンが出演、それに共演する人形の制作を手がける。同監督の次の長編映画「ハーメルン」(2013)にも人形制作で参加。 また2004年以降「舞踏」と出会い、身体表現・パフォーマンスに関心を深める。2007年に舞踏家・吉本大輔氏の肖像作品を制作して以降、球体関節人形のスタイルを越えた造形を求め始める。 2012年に重度障害者でありながら女優・コンテンポラリーダンサーとして活躍する森田かずよと出会い、2年半をかけてその身体を忠実に造形した《片脚で立つ森田かずよの肖像》を制作。2015年の個展で同作品の発表以来、美術や創作人形とは離れた分野での発表の機会を広げる。 桐塑、陶、布、油彩、人毛など様々な素材を使い、人間個人の存在感や身体のイメージなどを表現する。 (ja)
  • 井桁 裕子(いげた ひろこ、1967年10月12日 - )は、東京都出身の人形作家。 1991年、武蔵野美術大学視覚伝達デザイン学科卒業。大学在学中に日本創作人形学院にてに球体関節人形を学ぶ。大学卒業後はデザイン会社に勤務するかたわら球体関節人形を制作、グループ展などで発表する。 1996年、自身の社会性において自分の身体を正しく把握できないことへの危機感から「セルフポートレートドール」として自分をモデルにした球体関節人形を制作。女性の身体の「見る・見られる」主体と客体の問題に注目する。その後、友人をモデルに肖像の人形を制作し始める。以来、現実に出会った人物をモチーフにした一連の「肖像人形」の制作につながっていく。 2003年の個展に続き、2004年に東京都現代美術館での「Dolls of INNOCENCE 球体関節人形展」に参加。そこで《闘病日誌ー音楽家・金田真一氏の肖像人形》などを展示。同年、デザイン会社を退職、イラストレーターとして独立する一方で、作家活動を本格的に開始する。 2005年、和紙による張り子や桐塑などの、丈夫で環境負荷の少ない素材での制作を学ぶため「四谷シモン人形学校()」に入学。映画監督・坪川拓史の劇場用長編映画「アリア」(2006)に四谷シモンが出演、それに共演する人形の制作を手がける。同監督の次の長編映画「ハーメルン」(2013)にも人形制作で参加。 また2004年以降「舞踏」と出会い、身体表現・パフォーマンスに関心を深める。2007年に舞踏家・吉本大輔氏の肖像作品を制作して以降、球体関節人形のスタイルを越えた造形を求め始める。 2012年に重度障害者でありながら女優・コンテンポラリーダンサーとして活躍する森田かずよと出会い、2年半をかけてその身体を忠実に造形した《片脚で立つ森田かずよの肖像》を制作。2015年の個展で同作品の発表以来、美術や創作人形とは離れた分野での発表の機会を広げる。 桐塑、陶、布、油彩、人毛など様々な素材を使い、人間個人の存在感や身体のイメージなどを表現する。 (ja)
dbo:wikiPageExternalLink
dbo:wikiPageID
  • 2285898 (xsd:integer)
dbo:wikiPageLength
  • 5718 (xsd:nonNegativeInteger)
dbo:wikiPageRevisionID
  • 81917848 (xsd:integer)
dbo:wikiPageWikiLink
prop-ja:wikiPageUsesTemplate
dct:subject
rdfs:comment
  • 井桁 裕子(いげた ひろこ、1967年10月12日 - )は、東京都出身の人形作家。 1991年、武蔵野美術大学視覚伝達デザイン学科卒業。大学在学中に日本創作人形学院にてに球体関節人形を学ぶ。大学卒業後はデザイン会社に勤務するかたわら球体関節人形を制作、グループ展などで発表する。 1996年、自身の社会性において自分の身体を正しく把握できないことへの危機感から「セルフポートレートドール」として自分をモデルにした球体関節人形を制作。女性の身体の「見る・見られる」主体と客体の問題に注目する。その後、友人をモデルに肖像の人形を制作し始める。以来、現実に出会った人物をモチーフにした一連の「肖像人形」の制作につながっていく。 2003年の個展に続き、2004年に東京都現代美術館での「Dolls of INNOCENCE 球体関節人形展」に参加。そこで《闘病日誌ー音楽家・金田真一氏の肖像人形》などを展示。同年、デザイン会社を退職、イラストレーターとして独立する一方で、作家活動を本格的に開始する。 2005年、和紙による張り子や桐塑などの、丈夫で環境負荷の少ない素材での制作を学ぶため「四谷シモン人形学校()」に入学。映画監督・坪川拓史の劇場用長編映画「アリア」(2006)に四谷シモンが出演、それに共演する人形の制作を手がける。同監督の次の長編映画「ハーメルン」(2013)にも人形制作で参加。 (ja)
  • 井桁 裕子(いげた ひろこ、1967年10月12日 - )は、東京都出身の人形作家。 1991年、武蔵野美術大学視覚伝達デザイン学科卒業。大学在学中に日本創作人形学院にてに球体関節人形を学ぶ。大学卒業後はデザイン会社に勤務するかたわら球体関節人形を制作、グループ展などで発表する。 1996年、自身の社会性において自分の身体を正しく把握できないことへの危機感から「セルフポートレートドール」として自分をモデルにした球体関節人形を制作。女性の身体の「見る・見られる」主体と客体の問題に注目する。その後、友人をモデルに肖像の人形を制作し始める。以来、現実に出会った人物をモチーフにした一連の「肖像人形」の制作につながっていく。 2003年の個展に続き、2004年に東京都現代美術館での「Dolls of INNOCENCE 球体関節人形展」に参加。そこで《闘病日誌ー音楽家・金田真一氏の肖像人形》などを展示。同年、デザイン会社を退職、イラストレーターとして独立する一方で、作家活動を本格的に開始する。 2005年、和紙による張り子や桐塑などの、丈夫で環境負荷の少ない素材での制作を学ぶため「四谷シモン人形学校()」に入学。映画監督・坪川拓史の劇場用長編映画「アリア」(2006)に四谷シモンが出演、それに共演する人形の制作を手がける。同監督の次の長編映画「ハーメルン」(2013)にも人形制作で参加。 (ja)
rdfs:label
  • 井桁裕子 (ja)
  • 井桁裕子 (ja)
prov:wasDerivedFrom
foaf:homepage
foaf:isPrimaryTopicOf
is dbo:wikiPageWikiLink of
is owl:sameAs of
is foaf:primaryTopic of