三宅 小まめ (みやけ こまめ、1910年(明治43年)- 2009年(平成21年)7月21日)は祇園甲部芸妓、京舞井上流名取。京都市東山区出身。実家は屋形(置屋)を営む。 10代前半で舞妓から出て(当時、舞妓は10歳前後でお座敷に出ていた)、15歳のころに衿替えをし、以来、祇園の舞い手としてお座敷や『都をどり』、『温習会』などで活躍した。小まめという芸名は最初、小豆と表記していたが、本人はそれを嫌がり改名したといわれる。1997年(平成9年)、京都伝統技芸振興財団より第1回伝統技芸保持者に認定される。同年11月、京都府行催事功労者表彰、1998年(平成10年)、京都市自治100年記念表彰を受けた

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  • 三宅 小まめ (みやけ こまめ、1910年(明治43年)- 2009年(平成21年)7月21日)は祇園甲部芸妓、京舞井上流名取。京都市東山区出身。実家は屋形(置屋)を営む。 10代前半で舞妓から出て(当時、舞妓は10歳前後でお座敷に出ていた)、15歳のころに衿替えをし、以来、祇園の舞い手としてお座敷や『都をどり』、『温習会』などで活躍した。小まめという芸名は最初、小豆と表記していたが、本人はそれを嫌がり改名したといわれる。1997年(平成9年)、京都伝統技芸振興財団より第1回伝統技芸保持者に認定される。同年11月、京都府行催事功労者表彰、1998年(平成10年)、京都市自治100年記念表彰を受けた (ja)
  • 三宅 小まめ (みやけ こまめ、1910年(明治43年)- 2009年(平成21年)7月21日)は祇園甲部芸妓、京舞井上流名取。京都市東山区出身。実家は屋形(置屋)を営む。 10代前半で舞妓から出て(当時、舞妓は10歳前後でお座敷に出ていた)、15歳のころに衿替えをし、以来、祇園の舞い手としてお座敷や『都をどり』、『温習会』などで活躍した。小まめという芸名は最初、小豆と表記していたが、本人はそれを嫌がり改名したといわれる。1997年(平成9年)、京都伝統技芸振興財団より第1回伝統技芸保持者に認定される。同年11月、京都府行催事功労者表彰、1998年(平成10年)、京都市自治100年記念表彰を受けた (ja)
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  • 三宅 小まめ (みやけ こまめ、1910年(明治43年)- 2009年(平成21年)7月21日)は祇園甲部芸妓、京舞井上流名取。京都市東山区出身。実家は屋形(置屋)を営む。 10代前半で舞妓から出て(当時、舞妓は10歳前後でお座敷に出ていた)、15歳のころに衿替えをし、以来、祇園の舞い手としてお座敷や『都をどり』、『温習会』などで活躍した。小まめという芸名は最初、小豆と表記していたが、本人はそれを嫌がり改名したといわれる。1997年(平成9年)、京都伝統技芸振興財団より第1回伝統技芸保持者に認定される。同年11月、京都府行催事功労者表彰、1998年(平成10年)、京都市自治100年記念表彰を受けた (ja)
  • 三宅 小まめ (みやけ こまめ、1910年(明治43年)- 2009年(平成21年)7月21日)は祇園甲部芸妓、京舞井上流名取。京都市東山区出身。実家は屋形(置屋)を営む。 10代前半で舞妓から出て(当時、舞妓は10歳前後でお座敷に出ていた)、15歳のころに衿替えをし、以来、祇園の舞い手としてお座敷や『都をどり』、『温習会』などで活躍した。小まめという芸名は最初、小豆と表記していたが、本人はそれを嫌がり改名したといわれる。1997年(平成9年)、京都伝統技芸振興財団より第1回伝統技芸保持者に認定される。同年11月、京都府行催事功労者表彰、1998年(平成10年)、京都市自治100年記念表彰を受けた (ja)
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  • 三宅小まめ (ja)
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