一条家門流三十八卿建議(いちじょうけもんりゅうさんじゅうはちきょうけんぎ)は、元治元年6月25日(1864年7月28日)に関白二条斉敬に提出された建白書である。 一条実良が中心となって動き、一条家門流に属する37家のうち、28家38人が名を連ねた。中山忠能が文案を作成した。 その内容は、過激な攘夷は避けなければならないが、朝廷が横浜鎖港を幕府に促すことで、天皇を慰め、民心を安らかにするべきであるというものであった。これは、当時の京都でも平和的な手段による攘夷を望む者だけでなかったため、何もしなければ過激な攘夷派による事件が発生するだろうという警告であった。 同時期には長州藩が八幡・山崎・嵯峨に陣を敷いており、彼らの警告が当たったかのごとく、翌月に禁門の変が発生している。