ロッジア・ディ・ランツィ(Loggia dei Lanzi)またはランツィの回廊は、イタリアのフィレンツェにあるシニョリーア広場の角にある建物で、ウフィツィ美術館に隣接している。ロッジア・デッラ・シニョリーア (Loggia della Signoria)、シニョリーア回廊とも。幅広いアーチの開口部が通りに面していて、間口は3区画分、奥行きは1区画分である。アーチはコリント式柱頭のある束ね付柱で支えられている。この幅の広いアーチはフィレンツェ人にとって魅力的だったようで、ミケランジェロはシニョリーア広場全体をこのアーチで取り囲むことを提案したほど気に入っていたという。 時折、間違ってオルカーニャが設計したとされ「ロッジア・デロルカーニャ (Loggia dell'Orcagna)」と呼ばれることがあるが、実際には1376年から1382年にベンチ・ディ・チョーネとフランチェスコ・タレンティが建設したものである。設計はヤーコポ・ディ・チョーネと推定されており、ゴンファロニエーレの就任式などの公的な式典を催したり、市民の集会を行う場所として建てられた。 回廊の陽気な雰囲気は、重々しいヴェッキオ宮殿と好対照をなしている。屋根はあるが事実上、古代およびルネサンス美術の野外彫刻展示場になっている。

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  • ロッジア・ディ・ランツィ(Loggia dei Lanzi)またはランツィの回廊は、イタリアのフィレンツェにあるシニョリーア広場の角にある建物で、ウフィツィ美術館に隣接している。ロッジア・デッラ・シニョリーア (Loggia della Signoria)、シニョリーア回廊とも。幅広いアーチの開口部が通りに面していて、間口は3区画分、奥行きは1区画分である。アーチはコリント式柱頭のある束ね付柱で支えられている。この幅の広いアーチはフィレンツェ人にとって魅力的だったようで、ミケランジェロはシニョリーア広場全体をこのアーチで取り囲むことを提案したほど気に入っていたという。 時折、間違ってオルカーニャが設計したとされ「ロッジア・デロルカーニャ (Loggia dell'Orcagna)」と呼ばれることがあるが、実際には1376年から1382年にベンチ・ディ・チョーネとフランチェスコ・タレンティが建設したものである。設計はヤーコポ・ディ・チョーネと推定されており、ゴンファロニエーレの就任式などの公的な式典を催したり、市民の集会を行う場所として建てられた。 回廊の陽気な雰囲気は、重々しいヴェッキオ宮殿と好対照をなしている。屋根はあるが事実上、古代およびルネサンス美術の野外彫刻展示場になっている。 名称の「ランツィ」とは、コジモ1世治世下でこの建物をランツクネヒト(ドイツ人傭兵)が使ったことに由来する(ランツクネヒトが訛ってランツィになった)。すぐ後ろにウフィツィ美術館ができた後、がこの建物の屋根を改造してテラスにし、メディチ家の王子たちがシニョリーア広場で行われる式典などを観覧する場所とした。 (ja)
  • ロッジア・ディ・ランツィ(Loggia dei Lanzi)またはランツィの回廊は、イタリアのフィレンツェにあるシニョリーア広場の角にある建物で、ウフィツィ美術館に隣接している。ロッジア・デッラ・シニョリーア (Loggia della Signoria)、シニョリーア回廊とも。幅広いアーチの開口部が通りに面していて、間口は3区画分、奥行きは1区画分である。アーチはコリント式柱頭のある束ね付柱で支えられている。この幅の広いアーチはフィレンツェ人にとって魅力的だったようで、ミケランジェロはシニョリーア広場全体をこのアーチで取り囲むことを提案したほど気に入っていたという。 時折、間違ってオルカーニャが設計したとされ「ロッジア・デロルカーニャ (Loggia dell'Orcagna)」と呼ばれることがあるが、実際には1376年から1382年にベンチ・ディ・チョーネとフランチェスコ・タレンティが建設したものである。設計はヤーコポ・ディ・チョーネと推定されており、ゴンファロニエーレの就任式などの公的な式典を催したり、市民の集会を行う場所として建てられた。 回廊の陽気な雰囲気は、重々しいヴェッキオ宮殿と好対照をなしている。屋根はあるが事実上、古代およびルネサンス美術の野外彫刻展示場になっている。 名称の「ランツィ」とは、コジモ1世治世下でこの建物をランツクネヒト(ドイツ人傭兵)が使ったことに由来する(ランツクネヒトが訛ってランツィになった)。すぐ後ろにウフィツィ美術館ができた後、がこの建物の屋根を改造してテラスにし、メディチ家の王子たちがシニョリーア広場で行われる式典などを観覧する場所とした。 (ja)
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  • ロッジア・ディ・ランツィ(Loggia dei Lanzi)またはランツィの回廊は、イタリアのフィレンツェにあるシニョリーア広場の角にある建物で、ウフィツィ美術館に隣接している。ロッジア・デッラ・シニョリーア (Loggia della Signoria)、シニョリーア回廊とも。幅広いアーチの開口部が通りに面していて、間口は3区画分、奥行きは1区画分である。アーチはコリント式柱頭のある束ね付柱で支えられている。この幅の広いアーチはフィレンツェ人にとって魅力的だったようで、ミケランジェロはシニョリーア広場全体をこのアーチで取り囲むことを提案したほど気に入っていたという。 時折、間違ってオルカーニャが設計したとされ「ロッジア・デロルカーニャ (Loggia dell'Orcagna)」と呼ばれることがあるが、実際には1376年から1382年にベンチ・ディ・チョーネとフランチェスコ・タレンティが建設したものである。設計はヤーコポ・ディ・チョーネと推定されており、ゴンファロニエーレの就任式などの公的な式典を催したり、市民の集会を行う場所として建てられた。 回廊の陽気な雰囲気は、重々しいヴェッキオ宮殿と好対照をなしている。屋根はあるが事実上、古代およびルネサンス美術の野外彫刻展示場になっている。 (ja)
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