レオニード・イヴァノヴィチ・セドニョフ(ロシア語: Леонид Иванович Седнёв, ラテン文字転写: Leonid Ivanovich Sednev、1903年??月??日 - 1942年7月17日?)は、叔父のとともにロマノフ朝最後の皇帝ニコライ2世一家のお抱え料理人の助手を務めた少年である。ラテン文字転写から姓はセドネフと表記されることが多い。ヤコフ・ユロフスキー配下の銃殺隊によるニコライ2世一家の銃殺が実行された1918年7月17日以降も生き延びることができた唯一のイパチェフ館の囚人となった。