ヨープ・ズートメルク(Gerardus Joseph ("Joop") Zoetemelk。1946年12月3日- )はオランダ生まれの元自転車競技ロードレース選手。 1968年に行われたメキシコシティーオリンピックのロードチームタイムトライアルでオランダに金メダルをもたらし、翌年プロ入り。1970年のツール・ド・フランスでは初出場ながらもエディ・メルクスに続く総合2位に入る。 しかし、メルクス、さらにベルナール・イノーの壁が厚く、ツール・ド・フランスでは総合2位の回数が6回を数えたことから、「万年2位」と言われたこともあった。さらに1974年にはレース中の大怪我に見舞われたことが原因で選手生命を脅かされたり、また、1977年、1979年のツールでは、ドーピング検査で陽性反応が出たこともあった(当時は今とは違って、区間記録は取り消されたものの、総合記録は完走時間記録に10分間のペナルティーが課せられるだけだった)。 引退後、1996年から2006年のブエルタまで、ラボバンクチームの監督を務めた。