ミゲル・グレホリオ・デ・ラ・ルス・アテノヘス・ミラモン・イ・タレロ(Miguel Gregorio de la Luz Atenógenes Miramón y Tarelo 1832年9月29日 – 1867年6月19日)は、メキシコの保守派の軍人。『1857年憲法』を制定したイグナシオ・コモンフォルト政権が保守派による政変で打倒されたときに、自由主義派の『1857年憲法』による暫定大統領のベニート・フアレスに対抗して暫定大統領を務めた。第2次メキシコ帝国では元帥としてトマス・メヒアとともに皇帝マクシミリアンのために戦い、1867年6月19日にで軍事裁判で国家反逆罪の有罪判決を言い渡され、マクシミリアンとメヒアとともに銃殺刑となった。