ボスニア・ヘルツェゴビナ国歌(ボスニア語: Državna himna Bosne i Hercegovine)は、1999年6月25日に国歌として正式に制定され公布された。以前の国歌であるは1992年より使用されていたが、国内のセルビア人やクロアチア人をまったく考慮に入れていないものであったため、同様の問題のあった国旗及び国章とともに改定が計画されていた。前二者は1998年2月10日に改正された。 が作曲をおこなったが、1999年の時点では歌詞は完成しておらず、曲のみとなっていたので間奏曲 (Intermeco) と呼ばれ、一般にもこの名で知られるようになった。歌詞は作曲者であるシェスティチとが完成させ、2009年2月にボスニア議会の委員会にて承認された。最終決定にはこの後、ボスニアヘルツェゴビナの閣僚理事会、ボスニアヘルツェゴビナの議員会議およびボスニアヘルツェゴビナの人民議会の承認が必要とされる。この歌詞はこの国を構成する憲法上の2つの行政主体については言及しておらず、「われわれはともに未来を目指そう」という歌詞で終わっている。 なお、この曲の調べが1978年に公開されたアメリカ映画『アニマル・ハウス』の音楽にそっくりだと言われている。シェスティチ自身も、若い頃この映画を見るか音楽を聴くかして、脳裏にこびりついていたかもしれないと釈明している。

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  • ボスニア・ヘルツェゴビナ国歌(ボスニア語: Državna himna Bosne i Hercegovine)は、1999年6月25日に国歌として正式に制定され公布された。以前の国歌であるは1992年より使用されていたが、国内のセルビア人やクロアチア人をまったく考慮に入れていないものであったため、同様の問題のあった国旗及び国章とともに改定が計画されていた。前二者は1998年2月10日に改正された。 が作曲をおこなったが、1999年の時点では歌詞は完成しておらず、曲のみとなっていたので間奏曲 (Intermeco) と呼ばれ、一般にもこの名で知られるようになった。歌詞は作曲者であるシェスティチとが完成させ、2009年2月にボスニア議会の委員会にて承認された。最終決定にはこの後、ボスニアヘルツェゴビナの閣僚理事会、ボスニアヘルツェゴビナの議員会議およびボスニアヘルツェゴビナの人民議会の承認が必要とされる。この歌詞はこの国を構成する憲法上の2つの行政主体については言及しておらず、「われわれはともに未来を目指そう」という歌詞で終わっている。 なお、この曲の調べが1978年に公開されたアメリカ映画『アニマル・ハウス』の音楽にそっくりだと言われている。シェスティチ自身も、若い頃この映画を見るか音楽を聴くかして、脳裏にこびりついていたかもしれないと釈明している。 (ja)
  • ボスニア・ヘルツェゴビナ国歌(ボスニア語: Državna himna Bosne i Hercegovine)は、1999年6月25日に国歌として正式に制定され公布された。以前の国歌であるは1992年より使用されていたが、国内のセルビア人やクロアチア人をまったく考慮に入れていないものであったため、同様の問題のあった国旗及び国章とともに改定が計画されていた。前二者は1998年2月10日に改正された。 が作曲をおこなったが、1999年の時点では歌詞は完成しておらず、曲のみとなっていたので間奏曲 (Intermeco) と呼ばれ、一般にもこの名で知られるようになった。歌詞は作曲者であるシェスティチとが完成させ、2009年2月にボスニア議会の委員会にて承認された。最終決定にはこの後、ボスニアヘルツェゴビナの閣僚理事会、ボスニアヘルツェゴビナの議員会議およびボスニアヘルツェゴビナの人民議会の承認が必要とされる。この歌詞はこの国を構成する憲法上の2つの行政主体については言及しておらず、「われわれはともに未来を目指そう」という歌詞で終わっている。 なお、この曲の調べが1978年に公開されたアメリカ映画『アニマル・ハウス』の音楽にそっくりだと言われている。シェスティチ自身も、若い頃この映画を見るか音楽を聴くかして、脳裏にこびりついていたかもしれないと釈明している。 (ja)
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