ブレンダ・アン・スペンサー (Brenda Ann Spencer, 1962年4月3日 - ) は、米国の殺人犯・服役囚である。1979年1月29日、カリフォルニア州サンディエゴのグローバー・クリーブランド小学校で銃乱射事件を起こす。校長と主任用務員が死亡し、児童8名と警官1名が負傷した。 クリーブランド小学校は、道路を挟んでスペンサー家の向かいにあった。スペンサーが使用したライフルは、クリスマスに父親に買ってもらったばかりのものである。6時間に及んだ犯行が終わり、誰を撃ちたかったのか尋ねられると、スペンサーは「赤や青のジャケットを着ている子」と答えた。何故、銃を撃ったりしたのかと問われると、肩をすくめて「月曜日が嫌いなの。銃をぶっぱなすと景気付けになるでしょ」と答えたのである。また「理由なんかなかったわ。面白かったんだもの」「池でカモ猟をしているみたい」「小学生たちは牛の群れみたいで、簡単に狙えたわ」などとも語っている。 事件当時、スペンサーは16歳であった。 2005年、スペンサーは、事件当時は酒に酔い、PCPを飲んでいて正気でなかったと主張している。また、子供の頃に父親から性的虐待を受けていた (この点について収監当初は主張していない)、州と検事が共謀して薬物検査の結果を隠蔽したとも主張している。

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  • ブレンダ・アン・スペンサー (Brenda Ann Spencer, 1962年4月3日 - ) は、米国の殺人犯・服役囚である。1979年1月29日、カリフォルニア州サンディエゴのグローバー・クリーブランド小学校で銃乱射事件を起こす。校長と主任用務員が死亡し、児童8名と警官1名が負傷した。 クリーブランド小学校は、道路を挟んでスペンサー家の向かいにあった。スペンサーが使用したライフルは、クリスマスに父親に買ってもらったばかりのものである。6時間に及んだ犯行が終わり、誰を撃ちたかったのか尋ねられると、スペンサーは「赤や青のジャケットを着ている子」と答えた。何故、銃を撃ったりしたのかと問われると、肩をすくめて「月曜日が嫌いなの。銃をぶっぱなすと景気付けになるでしょ」と答えたのである。また「理由なんかなかったわ。面白かったんだもの」「池でカモ猟をしているみたい」「小学生たちは牛の群れみたいで、簡単に狙えたわ」などとも語っている。 事件当時、スペンサーは16歳であった。 スペンサーは、殺人罪と武器を用いた暴行罪の2罪について罪を認め、25年以上の終身刑(日本での無期懲役刑に相当)が言い渡された。現在、チノ (Chino) の (California Institution for Women) に服役している。これまでに5度、仮釈放の申請資格を得たが、いずれも却下されている。最近では2019年。次回、仮釈放申請の資格を得るのは最低所要服役期間に達する2021年である。 2005年、スペンサーは、事件当時は酒に酔い、PCPを飲んでいて正気でなかったと主張している。また、子供の頃に父親から性的虐待を受けていた (この点について収監当初は主張していない)、州と検事が共謀して薬物検査の結果を隠蔽したとも主張している。 スペンサーの犯罪、後悔の念が見受けられないさま、逮捕時の釈明の不真面目さに触発され、ボブ・ゲルドフにより、ブームタウン・ラッツの楽曲、「哀愁のマンデイ」が生み出された。また、1985年の映画『ブレックファスト・クラブ』では、スペンサーが発した「I don't like Mondays(月曜日が嫌い)」という台詞が壁の落書きとして登場している。 (ja)
  • ブレンダ・アン・スペンサー (Brenda Ann Spencer, 1962年4月3日 - ) は、米国の殺人犯・服役囚である。1979年1月29日、カリフォルニア州サンディエゴのグローバー・クリーブランド小学校で銃乱射事件を起こす。校長と主任用務員が死亡し、児童8名と警官1名が負傷した。 クリーブランド小学校は、道路を挟んでスペンサー家の向かいにあった。スペンサーが使用したライフルは、クリスマスに父親に買ってもらったばかりのものである。6時間に及んだ犯行が終わり、誰を撃ちたかったのか尋ねられると、スペンサーは「赤や青のジャケットを着ている子」と答えた。何故、銃を撃ったりしたのかと問われると、肩をすくめて「月曜日が嫌いなの。銃をぶっぱなすと景気付けになるでしょ」と答えたのである。また「理由なんかなかったわ。面白かったんだもの」「池でカモ猟をしているみたい」「小学生たちは牛の群れみたいで、簡単に狙えたわ」などとも語っている。 事件当時、スペンサーは16歳であった。 スペンサーは、殺人罪と武器を用いた暴行罪の2罪について罪を認め、25年以上の終身刑(日本での無期懲役刑に相当)が言い渡された。現在、チノ (Chino) の (California Institution for Women) に服役している。これまでに5度、仮釈放の申請資格を得たが、いずれも却下されている。最近では2019年。次回、仮釈放申請の資格を得るのは最低所要服役期間に達する2021年である。 2005年、スペンサーは、事件当時は酒に酔い、PCPを飲んでいて正気でなかったと主張している。また、子供の頃に父親から性的虐待を受けていた (この点について収監当初は主張していない)、州と検事が共謀して薬物検査の結果を隠蔽したとも主張している。 スペンサーの犯罪、後悔の念が見受けられないさま、逮捕時の釈明の不真面目さに触発され、ボブ・ゲルドフにより、ブームタウン・ラッツの楽曲、「哀愁のマンデイ」が生み出された。また、1985年の映画『ブレックファスト・クラブ』では、スペンサーが発した「I don't like Mondays(月曜日が嫌い)」という台詞が壁の落書きとして登場している。 (ja)
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  • ブレンダ・アン・スペンサー (Brenda Ann Spencer, 1962年4月3日 - ) は、米国の殺人犯・服役囚である。1979年1月29日、カリフォルニア州サンディエゴのグローバー・クリーブランド小学校で銃乱射事件を起こす。校長と主任用務員が死亡し、児童8名と警官1名が負傷した。 クリーブランド小学校は、道路を挟んでスペンサー家の向かいにあった。スペンサーが使用したライフルは、クリスマスに父親に買ってもらったばかりのものである。6時間に及んだ犯行が終わり、誰を撃ちたかったのか尋ねられると、スペンサーは「赤や青のジャケットを着ている子」と答えた。何故、銃を撃ったりしたのかと問われると、肩をすくめて「月曜日が嫌いなの。銃をぶっぱなすと景気付けになるでしょ」と答えたのである。また「理由なんかなかったわ。面白かったんだもの」「池でカモ猟をしているみたい」「小学生たちは牛の群れみたいで、簡単に狙えたわ」などとも語っている。 事件当時、スペンサーは16歳であった。 2005年、スペンサーは、事件当時は酒に酔い、PCPを飲んでいて正気でなかったと主張している。また、子供の頃に父親から性的虐待を受けていた (この点について収監当初は主張していない)、州と検事が共謀して薬物検査の結果を隠蔽したとも主張している。 (ja)
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  • ブレンダ・アン・スペンサー (ja)
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