ウェスリー・ブランチ・リッキー(Wesley Branch Rickey , 1881年12月20日 - 1965年12月9日)は、アメリカ合衆国オハイオ州出身の元プロ野球選手(捕手)・監督・プロ野球球団経営者。 マイナー組織の改革や初のアフリカ系アメリカ人選手ジャッキー・ロビンソンと契約を結んだ等、革新的なメジャーリーグ球団幹部であったことでよく知られている。ファーム制度や科学的なトレーニングの導入でも有名である。"The Mahatma"(マハトマ・ガンディーになぞらえたもの)のニックネームで呼ばれた。大卒後、弁護士業を数年行っていた。