ピエール・フリムラン(Pierre Pflimlin、1907年2月15日 - 2000年6月27日)は、フランスの政治家、弁護士。キリスト教民主主義者。1958年フランス第四共和政における最後から2番目の閣僚評議会議長(首相)となり、アルジェリア問題を収拾するために出馬したシャルル・ド・ゴールと交代する数週間在任した。 ベルギーと国境を接する北仏ノール県出身。弁護士を経て政界入りし、キリスト教民主主義を標榜する (国民共和運動)を結成し、1945年アルザスのバ=ラン県から国民議会議員に選出される。戦後の第四共和制にあって、農相を皮切りに、商業相、蔵相など閣僚ポストを歴任する。