デセグノ(Desegno、エスペラント語で「デザイン」の意味)とは、1936年に創刊された、多摩帝国美術学校(現在の多摩美術大学)図案科会の機関誌。1939年までに10号が刊行された。以降は、同年創刊の『多摩美術』に吸収された形になったと推測される。 その創刊には初代校長・杉浦非水のもと、図案科の教授であった新井泉(あらい・せん、1902年 - 1983年)がかかわっている。なお、新井泉は杉浦が設立した「七人社」(他のメンバーは、久保吉朗、須山浩、小池巌、原万助、岸秀雄、野村昇)にも参加している。 2015年、多摩美術大学の創立80周年記念事業の一環として復刻版が制作され、創立80周年記念展示にも出展された。

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  • デセグノ(Desegno、エスペラント語で「デザイン」の意味)とは、1936年に創刊された、多摩帝国美術学校(現在の多摩美術大学)図案科会の機関誌。1939年までに10号が刊行された。以降は、同年創刊の『多摩美術』に吸収された形になったと推測される。 その創刊には初代校長・杉浦非水のもと、図案科の教授であった新井泉(あらい・せん、1902年 - 1983年)がかかわっている。なお、新井泉は杉浦が設立した「七人社」(他のメンバーは、久保吉朗、須山浩、小池巌、原万助、岸秀雄、野村昇)にも参加している。 2015年、多摩美術大学の創立80周年記念事業の一環として復刻版が制作され、創立80周年記念展示にも出展された。 (ja)
  • デセグノ(Desegno、エスペラント語で「デザイン」の意味)とは、1936年に創刊された、多摩帝国美術学校(現在の多摩美術大学)図案科会の機関誌。1939年までに10号が刊行された。以降は、同年創刊の『多摩美術』に吸収された形になったと推測される。 その創刊には初代校長・杉浦非水のもと、図案科の教授であった新井泉(あらい・せん、1902年 - 1983年)がかかわっている。なお、新井泉は杉浦が設立した「七人社」(他のメンバーは、久保吉朗、須山浩、小池巌、原万助、岸秀雄、野村昇)にも参加している。 2015年、多摩美術大学の創立80周年記念事業の一環として復刻版が制作され、創立80周年記念展示にも出展された。 (ja)
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  • デセグノ(Desegno、エスペラント語で「デザイン」の意味)とは、1936年に創刊された、多摩帝国美術学校(現在の多摩美術大学)図案科会の機関誌。1939年までに10号が刊行された。以降は、同年創刊の『多摩美術』に吸収された形になったと推測される。 その創刊には初代校長・杉浦非水のもと、図案科の教授であった新井泉(あらい・せん、1902年 - 1983年)がかかわっている。なお、新井泉は杉浦が設立した「七人社」(他のメンバーは、久保吉朗、須山浩、小池巌、原万助、岸秀雄、野村昇)にも参加している。 2015年、多摩美術大学の創立80周年記念事業の一環として復刻版が制作され、創立80周年記念展示にも出展された。 (ja)
  • デセグノ(Desegno、エスペラント語で「デザイン」の意味)とは、1936年に創刊された、多摩帝国美術学校(現在の多摩美術大学)図案科会の機関誌。1939年までに10号が刊行された。以降は、同年創刊の『多摩美術』に吸収された形になったと推測される。 その創刊には初代校長・杉浦非水のもと、図案科の教授であった新井泉(あらい・せん、1902年 - 1983年)がかかわっている。なお、新井泉は杉浦が設立した「七人社」(他のメンバーは、久保吉朗、須山浩、小池巌、原万助、岸秀雄、野村昇)にも参加している。 2015年、多摩美術大学の創立80周年記念事業の一環として復刻版が制作され、創立80周年記念展示にも出展された。 (ja)
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  • デセグノ (ja)
  • デセグノ (ja)
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