『エジプト秘儀論』(エジプトひぎろん、古希: Περὶ τῶν αἰγυπτίων μυστηρίων; ラテン語訳 De Mysteriis Aegyptiorum)は、3世紀の新プラトン主義者イアンブリコスによって書かれたとされる書物。ラテン語訳表題は正式には『エジプト人、カルデア人、アッシリア人の秘儀について』 (De mysteriis Aegyptiorum, Chaldaeorum, Assyriorum)。タイトルは古代オリエントのみを対象とするかのようだが、デルポイの神託やギリシアの神秘主義も対象としている。 イアンブリコスはポルピュリオスの弟子であったが、テウルギア(神働術)の実践を巡って師弟間に意見の相違があった。この文献は主として、ポルピュリオスの批判に対するイアンブリコスの反論によって構成されている。 なお、本書をイアンブリコスの著とみなしたのは5世紀のアテナイ学派のプロクロスであったと思しいが、本書はイアンブリコスの他の著書と比べて文体が異なっており、学説にもいくつかの相違点がある。そのためイアンブリコスの真作であることが疑問視されることもあった。ともあれ本書が、当時の多神教的な儀式の実践を理論的に正当化しよう、という体系化された企図に基づいてイアンブリコスの学派から発されたものであることは確かである。

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  • 『エジプト秘儀論』(エジプトひぎろん、古希: Περὶ τῶν αἰγυπτίων μυστηρίων; ラテン語訳 De Mysteriis Aegyptiorum)は、3世紀の新プラトン主義者イアンブリコスによって書かれたとされる書物。ラテン語訳表題は正式には『エジプト人、カルデア人、アッシリア人の秘儀について』 (De mysteriis Aegyptiorum, Chaldaeorum, Assyriorum)。タイトルは古代オリエントのみを対象とするかのようだが、デルポイの神託やギリシアの神秘主義も対象としている。 イアンブリコスはポルピュリオスの弟子であったが、テウルギア(神働術)の実践を巡って師弟間に意見の相違があった。この文献は主として、ポルピュリオスの批判に対するイアンブリコスの反論によって構成されている。 なお、本書をイアンブリコスの著とみなしたのは5世紀のアテナイ学派のプロクロスであったと思しいが、本書はイアンブリコスの他の著書と比べて文体が異なっており、学説にもいくつかの相違点がある。そのためイアンブリコスの真作であることが疑問視されることもあった。ともあれ本書が、当時の多神教的な儀式の実践を理論的に正当化しよう、という体系化された企図に基づいてイアンブリコスの学派から発されたものであることは確かである。 (ja)
  • 『エジプト秘儀論』(エジプトひぎろん、古希: Περὶ τῶν αἰγυπτίων μυστηρίων; ラテン語訳 De Mysteriis Aegyptiorum)は、3世紀の新プラトン主義者イアンブリコスによって書かれたとされる書物。ラテン語訳表題は正式には『エジプト人、カルデア人、アッシリア人の秘儀について』 (De mysteriis Aegyptiorum, Chaldaeorum, Assyriorum)。タイトルは古代オリエントのみを対象とするかのようだが、デルポイの神託やギリシアの神秘主義も対象としている。 イアンブリコスはポルピュリオスの弟子であったが、テウルギア(神働術)の実践を巡って師弟間に意見の相違があった。この文献は主として、ポルピュリオスの批判に対するイアンブリコスの反論によって構成されている。 なお、本書をイアンブリコスの著とみなしたのは5世紀のアテナイ学派のプロクロスであったと思しいが、本書はイアンブリコスの他の著書と比べて文体が異なっており、学説にもいくつかの相違点がある。そのためイアンブリコスの真作であることが疑問視されることもあった。ともあれ本書が、当時の多神教的な儀式の実践を理論的に正当化しよう、という体系化された企図に基づいてイアンブリコスの学派から発されたものであることは確かである。 (ja)
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  • 『エジプト秘儀論』(エジプトひぎろん、古希: Περὶ τῶν αἰγυπτίων μυστηρίων; ラテン語訳 De Mysteriis Aegyptiorum)は、3世紀の新プラトン主義者イアンブリコスによって書かれたとされる書物。ラテン語訳表題は正式には『エジプト人、カルデア人、アッシリア人の秘儀について』 (De mysteriis Aegyptiorum, Chaldaeorum, Assyriorum)。タイトルは古代オリエントのみを対象とするかのようだが、デルポイの神託やギリシアの神秘主義も対象としている。 イアンブリコスはポルピュリオスの弟子であったが、テウルギア(神働術)の実践を巡って師弟間に意見の相違があった。この文献は主として、ポルピュリオスの批判に対するイアンブリコスの反論によって構成されている。 なお、本書をイアンブリコスの著とみなしたのは5世紀のアテナイ学派のプロクロスであったと思しいが、本書はイアンブリコスの他の著書と比べて文体が異なっており、学説にもいくつかの相違点がある。そのためイアンブリコスの真作であることが疑問視されることもあった。ともあれ本書が、当時の多神教的な儀式の実践を理論的に正当化しよう、という体系化された企図に基づいてイアンブリコスの学派から発されたものであることは確かである。 (ja)
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