ウィリアム・パーマー(William Palmer、1824年8月6日 - 1856年6月14日)は、19世紀イギリスの医者・殺人者である。ルージリーの毒殺者または毒殺の王子とも呼ばれ、19世紀で最も悪名高い殺人事件の犯人として有罪となった。チャールズ・ディケンズはパーマーを「今までオールド・ベイリー(中央刑事裁判所)に立った者の中で最大の悪党」と呼んだ。 パーマーは1855年に友人のジョン・クックを殺害した罪で有罪判決を受け、翌年、公開の場で絞首刑に処された。彼はクックをストリキニーネで毒殺、他にも兄弟や義母、4人の子供など数人を毒殺した疑いがある。パーマーは、妻と兄弟の死で生命保険金を受け取り、また裕福な母親から数千ポンドを騙し取って大金を手にしたが、そのすべてを競馬で失った。