1986年の世界ラリー選手権(1986 World Rally Championship season)は、FIA世界ラリー選手権の第14回大会となる。前年の12戦にが追加され、全13戦でタイトルが争われた。これは北米大陸のWRCへの復帰を意味した。また、12月に実施されたオリンパス・ラリーはアメリカ合衆国で開催された唯一のグループB車両によるイベントとなった。 1986年はWRCからグループBが排除されるきっかけとなった悲劇的な事故の発生で記憶されるシーズンとなった。第3戦のポルトガル・ラリーにおいて観客3名が死亡、30名以上が負傷するという事故が発生した。第5戦のツール・ド・コルスではランチア・デルタS4を駆るヘンリ・トイヴォネンがクラッシュ、炎上する事故を起こし、コ・ドライバーのと共に死亡した。ドライバーズ・タイトルはプジョーのユハ・カンクネンが獲得、ランチアのマルク・アレン、カンクネンのチームメイト、ティモ・サロネンがこれに続いた。マニファクチャラーズ・タイトルはランチアとの戦いを僅差で制したプジョーが獲得した。