藤枝 豊忠(ふじえだ とよただ、 元禄2年(1689年) - 延享3年5月27日(1746年7月14日))は江戸時代中期から後期の甲府藩士、旗本寄合席。旗本寄合席の藤枝氏当主。諱は豊忠。通称は喜之助、外記、帯刀。父は藤枝方教(若狭守)。母は某氏。妹に徳山秀栄の妻などがいる。また実子は1男6女で(帯刀)や娘(松平乗守の妻、後に松田勝易の妻)、娘(の妻)、娘(山田利寿の後妻)などがいる。享保年間に駿府加番を勤めたことがある。