磐井(いわい、生年不明 - 継体天皇22年(528年?))または筑紫 磐井(つくし/ちくし の いわい)は、6世紀前半(古墳時代後期)の豪族。カバネは君。 『日本書紀』では「磐井」、『古事記』では「竺紫君石井(ちくしのきみ いわい)」、『筑後国風土記』逸文では「筑紫君磐井」と表記される。『日本書紀』では磐井の官職を筑紫国造としているが、これを後世の潤色とする説がある。 ヤマト王権との間で起こった磐井の乱で知られるほか、この時代では珍しく墓の特定が可能な人物として知られる。