無知に訴える論証(むちにうったえるろんしょう、羅: argumentum ad ignorantiam)または無知に基づいた論証(英: argument from ignorance)とは、前提がこれまで偽と証明されていないことを根拠に真であることを主張する、あるいは前提が真と証明されていないことを根拠に偽であることを主張する誤謬である。他にも英語では、argument by lack of imagination、appeal to ignorance、negative evidence(消極的証拠)などともいう。 個人的懐疑に基づいた論証(argument from personal incredulity)は、ある前提を「個人的に」疑問に感じたことを理由としてその前提が偽であると表明すること、あるいは逆にある前提を好ましいと感じたことを理由として真であると表明することをいう。 いずれの論証も次のような構造を共有する。すなわち、ある見方に証拠がないことを理由として、別の見方が真であることの証拠とする。本項目で解説する誤謬は背理法とは異なることに注意が必要である。背理法は、前提が偽であることを証明するために「Aであり、かつAでない」という形式の妥当な論理的矛盾を導き出すものである。

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  • 無知に訴える論証(むちにうったえるろんしょう、羅: argumentum ad ignorantiam)または無知に基づいた論証(英: argument from ignorance)とは、前提がこれまで偽と証明されていないことを根拠に真であることを主張する、あるいは前提が真と証明されていないことを根拠に偽であることを主張する誤謬である。他にも英語では、argument by lack of imagination、appeal to ignorance、negative evidence(消極的証拠)などともいう。 個人的懐疑に基づいた論証(argument from personal incredulity)は、ある前提を「個人的に」疑問に感じたことを理由としてその前提が偽であると表明すること、あるいは逆にある前提を好ましいと感じたことを理由として真であると表明することをいう。 いずれの論証も次のような構造を共有する。すなわち、ある見方に証拠がないことを理由として、別の見方が真であることの証拠とする。本項目で解説する誤謬は背理法とは異なることに注意が必要である。背理法は、前提が偽であることを証明するために「Aであり、かつAでない」という形式の妥当な論理的矛盾を導き出すものである。 (ja)
  • 無知に訴える論証(むちにうったえるろんしょう、羅: argumentum ad ignorantiam)または無知に基づいた論証(英: argument from ignorance)とは、前提がこれまで偽と証明されていないことを根拠に真であることを主張する、あるいは前提が真と証明されていないことを根拠に偽であることを主張する誤謬である。他にも英語では、argument by lack of imagination、appeal to ignorance、negative evidence(消極的証拠)などともいう。 個人的懐疑に基づいた論証(argument from personal incredulity)は、ある前提を「個人的に」疑問に感じたことを理由としてその前提が偽であると表明すること、あるいは逆にある前提を好ましいと感じたことを理由として真であると表明することをいう。 いずれの論証も次のような構造を共有する。すなわち、ある見方に証拠がないことを理由として、別の見方が真であることの証拠とする。本項目で解説する誤謬は背理法とは異なることに注意が必要である。背理法は、前提が偽であることを証明するために「Aであり、かつAでない」という形式の妥当な論理的矛盾を導き出すものである。 (ja)
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  • 無知に訴える論証 (ja)
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