渡辺 政之輔(わたなべ まさのすけ、1899年(明治32年)9月7日 ‐ 1928年(昭和3年)10月6日)は、日本の労働運動家、政治活動家、非合法政党時代の日本共産党(第二次共産党)の委員長。「渡政」(わたまさ)の通称で知られた。二の腕に「こう命」と入れ墨するなど社会主義運動家としては異色の存在で、最期も警官隊との銃撃戦に散るという派手なものだった。配偶者は社会主義運動家・女性運動家として知られる丹野セツ。