李 亨根(イ・ヒョングン、이형근、1920年11月2日 - 2002年1月13日)は、大韓民国の軍人・外交官。 大韓民国国軍創設の中心人物の一人。最終階級は日本軍人としては大尉、韓国軍人としては大将。日本名は松山 武雄(まつやま たけお)。本貫は。号は青哉(チョンジェ、청재)。弟に軍人で韓国陸軍第7師団第3連隊長の。岳父に初代韓国陸軍参謀総長の李應俊。次男に歌手の。