延 徳春(ヨン・ドクチュン、연덕춘、1916年 - 2004年)は、第二次世界大戦前の日本と戦後の大韓民国で活動した朝鮮半島出身のゴルフ選手。朝鮮初のプロゴルフ選手である。 戦時期の日本では創氏改名により延原徳春を名乗っており、第二次世界大戦による途絶前の最後の日本オープン(1941年)の優勝者として知られる。戦後韓国でのプロゴルフの組織づくりにも関わり、「韓国プロゴルフの父」とも呼ばれる。韓国プロゴルフ協会が授与する年間最少スコア賞が「徳春賞」として記念されている。