小林 小太郎(こばやし こたろう、1848年3月2日(嘉永元年1月27日) - 1904年(明治37年)10月30日)は明治時代前半期の日本の文部官僚。旧伊予松山藩士。諱は儀秀、字は子彦、号は碌々、百石。 長らく文部省の翻訳事業に携わり、欧米への日本の教育事情の紹介、ならびに日本の教育制度の近代化に貢献した。