勧修寺 徳子(かしゅうじ なりこ、天明8年11月3日(1788年11月30日) - 明治11年(1878年)11月23日)は、江戸時代後期-明治初期にかけての女官。仁孝天皇の典侍。幼名は直、みな。号は、細井、権典侍、督典侍、新中納言典侍、新大典侍、藤大納言、京極。権大納言勧修寺経逸の娘。母は家女房。仁孝天皇生母・勧修寺婧子(東京極院)は姉にあたる。