劉氏長沙国(りゅうし-ちょうさこく)は、漢代に設置された藩国。漢初に呉芮が長沙国王に封じられたことより「劉氏長沙国」と称し区別する。 前156年に景帝が即位すると、翌年庶子の劉発を長沙王に封じ、長沙国が設置された。劉発が長沙王に封じられたのは、漢朝が諸侯勢力の削減政策を推進していた時期であり、前145年には諸侯藩国管理体制の改編に伴い、桂陽郡及び零陵郡が分離され、管轄範囲は僅かに臨湘・羅・連道・益陽・下雋・酃・烝陽・湘南・昭陵・攸・茶陵・容陵・安成の13県に減少し、また藩国の行政長官である「相」や県令は全て朝廷により任命されるようになった。 前142年、武陵郡・零陵郡及び桂陽郡が長沙国に移管され、現在の湖南省全域及び湖北省・貴州省・江西省・広東省・広西チワン族自治区の一部を管轄した。 劉氏長沙国は前漢が滅亡するまで8代164年にわたって存在した。後漢が成立すると26年(建武3年)にの子であるが長沙王に封じられ復活したが、12年後に長沙国は廃止となり、劉興は臨湘侯とされた。
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