マクスィム・クルィヴォニース(ウクライナ語:Максим Кривоніс, ? - 1648年11月中旬)は、ウクライナ・コサックの幹部でフメリニツキーの乱の指揮者の1人、庶民の志願兵の司令官である。の連隊長(1648年)。武断派と過激派コサックの親分で「黎民の大将」と呼ばれた。実姓は不明。クルィヴォニース(ペレブィイニース)は「折れ鼻」を意味するコサック風の渾名で、「鷲鼻のマクスィム」という通り名になる。