セイキロスの墓碑銘(セイキロスのぼひめい、セイキロスのとも)は、完全な形で残っている世界最古の楽曲である。墓石に歌詞が刻まれており、歌詞の行間には古代ギリシアの音符による旋律の指示がある。墓石はエフェソスの近隣にあるトルコの都市アイドゥン(Aydın)近郊で発掘された。年代は紀元前2世紀頃から紀元後1世紀頃と推測される。古代ギリシアの音楽としては、これより古いものも存在する。だが短いながらも完全な形で残っている楽曲はこれが最古である。 歌詞の他に、墓石には以下のような文言が刻まれている。 Εἰκὼν ἡ λίθος εἰμί.Τίθησί με Σείκιλος ἔνθα μνήμης ἀθανάτου σῆμα πολυχρόνιον この日本語訳は以下の通りである。 「わたしは墓石です。セイキロスがここに建てました。決して死ぬことのない、とこしえの思い出の印にと。」 また、墓石の下部には以下のような献辞が記されている。 Σείκιλος Εὐτέρ[πῃ] ラテン文字に翻字すると、Seikilos Euter[pei]となる。これは「セイキロスよりエウテルペに」の謂であり、セイキロスが自身の妻エウテルペにこの楽曲を捧げたものと考えられている。

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  • セイキロスの墓碑銘(セイキロスのぼひめい、セイキロスのとも)は、完全な形で残っている世界最古の楽曲である。墓石に歌詞が刻まれており、歌詞の行間には古代ギリシアの音符による旋律の指示がある。墓石はエフェソスの近隣にあるトルコの都市アイドゥン(Aydın)近郊で発掘された。年代は紀元前2世紀頃から紀元後1世紀頃と推測される。古代ギリシアの音楽としては、これより古いものも存在する。だが短いながらも完全な形で残っている楽曲はこれが最古である。 歌詞の他に、墓石には以下のような文言が刻まれている。 Εἰκὼν ἡ λίθος εἰμί.Τίθησί με Σείκιλος ἔνθα μνήμης ἀθανάτου σῆμα πολυχρόνιον この日本語訳は以下の通りである。 「わたしは墓石です。セイキロスがここに建てました。決して死ぬことのない、とこしえの思い出の印にと。」 また、墓石の下部には以下のような献辞が記されている。 Σείκιλος Εὐτέρ[πῃ] ラテン文字に翻字すると、Seikilos Euter[pei]となる。これは「セイキロスよりエウテルペに」の謂であり、セイキロスが自身の妻エウテルペにこの楽曲を捧げたものと考えられている。 (ja)
  • セイキロスの墓碑銘(セイキロスのぼひめい、セイキロスのとも)は、完全な形で残っている世界最古の楽曲である。墓石に歌詞が刻まれており、歌詞の行間には古代ギリシアの音符による旋律の指示がある。墓石はエフェソスの近隣にあるトルコの都市アイドゥン(Aydın)近郊で発掘された。年代は紀元前2世紀頃から紀元後1世紀頃と推測される。古代ギリシアの音楽としては、これより古いものも存在する。だが短いながらも完全な形で残っている楽曲はこれが最古である。 歌詞の他に、墓石には以下のような文言が刻まれている。 Εἰκὼν ἡ λίθος εἰμί.Τίθησί με Σείκιλος ἔνθα μνήμης ἀθανάτου σῆμα πολυχρόνιον この日本語訳は以下の通りである。 「わたしは墓石です。セイキロスがここに建てました。決して死ぬことのない、とこしえの思い出の印にと。」 また、墓石の下部には以下のような献辞が記されている。 Σείκιλος Εὐτέρ[πῃ] ラテン文字に翻字すると、Seikilos Euter[pei]となる。これは「セイキロスよりエウテルペに」の謂であり、セイキロスが自身の妻エウテルペにこの楽曲を捧げたものと考えられている。 (ja)
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  • セイキロスの墓碑銘(セイキロスのぼひめい、セイキロスのとも)は、完全な形で残っている世界最古の楽曲である。墓石に歌詞が刻まれており、歌詞の行間には古代ギリシアの音符による旋律の指示がある。墓石はエフェソスの近隣にあるトルコの都市アイドゥン(Aydın)近郊で発掘された。年代は紀元前2世紀頃から紀元後1世紀頃と推測される。古代ギリシアの音楽としては、これより古いものも存在する。だが短いながらも完全な形で残っている楽曲はこれが最古である。 歌詞の他に、墓石には以下のような文言が刻まれている。 Εἰκὼν ἡ λίθος εἰμί.Τίθησί με Σείκιλος ἔνθα μνήμης ἀθανάτου σῆμα πολυχρόνιον この日本語訳は以下の通りである。 「わたしは墓石です。セイキロスがここに建てました。決して死ぬことのない、とこしえの思い出の印にと。」 また、墓石の下部には以下のような献辞が記されている。 Σείκιλος Εὐτέρ[πῃ] ラテン文字に翻字すると、Seikilos Euter[pei]となる。これは「セイキロスよりエウテルペに」の謂であり、セイキロスが自身の妻エウテルペにこの楽曲を捧げたものと考えられている。 (ja)
  • セイキロスの墓碑銘(セイキロスのぼひめい、セイキロスのとも)は、完全な形で残っている世界最古の楽曲である。墓石に歌詞が刻まれており、歌詞の行間には古代ギリシアの音符による旋律の指示がある。墓石はエフェソスの近隣にあるトルコの都市アイドゥン(Aydın)近郊で発掘された。年代は紀元前2世紀頃から紀元後1世紀頃と推測される。古代ギリシアの音楽としては、これより古いものも存在する。だが短いながらも完全な形で残っている楽曲はこれが最古である。 歌詞の他に、墓石には以下のような文言が刻まれている。 Εἰκὼν ἡ λίθος εἰμί.Τίθησί με Σείκιλος ἔνθα μνήμης ἀθανάτου σῆμα πολυχρόνιον この日本語訳は以下の通りである。 「わたしは墓石です。セイキロスがここに建てました。決して死ぬことのない、とこしえの思い出の印にと。」 また、墓石の下部には以下のような献辞が記されている。 Σείκιλος Εὐτέρ[πῃ] ラテン文字に翻字すると、Seikilos Euter[pei]となる。これは「セイキロスよりエウテルペに」の謂であり、セイキロスが自身の妻エウテルペにこの楽曲を捧げたものと考えられている。 (ja)
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  • セイキロスの墓碑銘 (ja)
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