サンレモ音楽祭(イタリア語:Festival della canzone italiana)はイタリア・リグーリア州のサンレーモで開催されているポピュラー音楽の音楽祭。1951年より毎年開催されており、和訳では音楽祭とされているが「歌」に焦点が当てられている。 サンレモ音楽祭は1955年よりRAI Uno(イタリア放送協会の総合チャンネル)でイタリア全土に生中継されている。 最初は小規模な音楽祭に過ぎず、第1回(1951年)の出場歌手はわずか3組、応募した20曲を繰り回して歌っていた。その後、規模も順次拡大し、1953年から参加曲を2組のアーティストが歌う方式となった。1958年の優勝曲「Nel blu dipinto blu(ヴォラーレ)」が、アメリカでミリオン・セラーを記録し、を受賞したことによって、サンレモ音楽祭は一躍世界的に認められ、その後も「Piove(チャオ・チャオ・バンビーナ)」「Al di la(アル・ディ・ラ)」をはじめ、多くの曲を生んでいる。1960年代に入ってもジリオラ・チンクェッティ、ボビー・ソロ、ウィルマ・ゴイクなどのスターを輩出し、コニー・フランシス、ポール・アンカ、ディオンヌ・ワーウィック、ヤードバーズなどの外国アーチストも出場。日本からも新宿音楽祭金賞歌手が本番組に派遣されたこともあり、また伊東ゆかりや岸洋子が参加し、カンツォーネ・ブームがおこるなど、サンレモ音楽祭は最盛期を迎えたが、1960年代末からはイタリア経済の衰退もあって、段々と楽曲のレベルが低下し、規模の縮小を余儀なくされた。それでも1980年代以降は回復傾向が見られ、新人賞の創設などの新機軸も取り入れられて、往時には及ばないまでも、高いレベルの音楽祭であり続けている。

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  • サンレモ音楽祭(イタリア語:Festival della canzone italiana)はイタリア・リグーリア州のサンレーモで開催されているポピュラー音楽の音楽祭。1951年より毎年開催されており、和訳では音楽祭とされているが「歌」に焦点が当てられている。 サンレモ音楽祭は1955年よりRAI Uno(イタリア放送協会の総合チャンネル)でイタリア全土に生中継されている。 最初は小規模な音楽祭に過ぎず、第1回(1951年)の出場歌手はわずか3組、応募した20曲を繰り回して歌っていた。その後、規模も順次拡大し、1953年から参加曲を2組のアーティストが歌う方式となった。1958年の優勝曲「Nel blu dipinto blu(ヴォラーレ)」が、アメリカでミリオン・セラーを記録し、を受賞したことによって、サンレモ音楽祭は一躍世界的に認められ、その後も「Piove(チャオ・チャオ・バンビーナ)」「Al di la(アル・ディ・ラ)」をはじめ、多くの曲を生んでいる。1960年代に入ってもジリオラ・チンクェッティ、ボビー・ソロ、ウィルマ・ゴイクなどのスターを輩出し、コニー・フランシス、ポール・アンカ、ディオンヌ・ワーウィック、ヤードバーズなどの外国アーチストも出場。日本からも新宿音楽祭金賞歌手が本番組に派遣されたこともあり、また伊東ゆかりや岸洋子が参加し、カンツォーネ・ブームがおこるなど、サンレモ音楽祭は最盛期を迎えたが、1960年代末からはイタリア経済の衰退もあって、段々と楽曲のレベルが低下し、規模の縮小を余儀なくされた。それでも1980年代以降は回復傾向が見られ、新人賞の創設などの新機軸も取り入れられて、往時には及ばないまでも、高いレベルの音楽祭であり続けている。 なお、1956年~1969年(1967年~1969年はアーティストのみ)、2011年~2013年、2015年以降のサンレモ音楽祭はイタリアのユーロビジョン・ソング・コンテストの予選大会でもある。 (ja)
  • サンレモ音楽祭(イタリア語:Festival della canzone italiana)はイタリア・リグーリア州のサンレーモで開催されているポピュラー音楽の音楽祭。1951年より毎年開催されており、和訳では音楽祭とされているが「歌」に焦点が当てられている。 サンレモ音楽祭は1955年よりRAI Uno(イタリア放送協会の総合チャンネル)でイタリア全土に生中継されている。 最初は小規模な音楽祭に過ぎず、第1回(1951年)の出場歌手はわずか3組、応募した20曲を繰り回して歌っていた。その後、規模も順次拡大し、1953年から参加曲を2組のアーティストが歌う方式となった。1958年の優勝曲「Nel blu dipinto blu(ヴォラーレ)」が、アメリカでミリオン・セラーを記録し、を受賞したことによって、サンレモ音楽祭は一躍世界的に認められ、その後も「Piove(チャオ・チャオ・バンビーナ)」「Al di la(アル・ディ・ラ)」をはじめ、多くの曲を生んでいる。1960年代に入ってもジリオラ・チンクェッティ、ボビー・ソロ、ウィルマ・ゴイクなどのスターを輩出し、コニー・フランシス、ポール・アンカ、ディオンヌ・ワーウィック、ヤードバーズなどの外国アーチストも出場。日本からも新宿音楽祭金賞歌手が本番組に派遣されたこともあり、また伊東ゆかりや岸洋子が参加し、カンツォーネ・ブームがおこるなど、サンレモ音楽祭は最盛期を迎えたが、1960年代末からはイタリア経済の衰退もあって、段々と楽曲のレベルが低下し、規模の縮小を余儀なくされた。それでも1980年代以降は回復傾向が見られ、新人賞の創設などの新機軸も取り入れられて、往時には及ばないまでも、高いレベルの音楽祭であり続けている。 なお、1956年~1969年(1967年~1969年はアーティストのみ)、2011年~2013年、2015年以降のサンレモ音楽祭はイタリアのユーロビジョン・ソング・コンテストの予選大会でもある。 (ja)
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  • サンレモ音楽祭(イタリア語:Festival della canzone italiana)はイタリア・リグーリア州のサンレーモで開催されているポピュラー音楽の音楽祭。1951年より毎年開催されており、和訳では音楽祭とされているが「歌」に焦点が当てられている。 サンレモ音楽祭は1955年よりRAI Uno(イタリア放送協会の総合チャンネル)でイタリア全土に生中継されている。 最初は小規模な音楽祭に過ぎず、第1回(1951年)の出場歌手はわずか3組、応募した20曲を繰り回して歌っていた。その後、規模も順次拡大し、1953年から参加曲を2組のアーティストが歌う方式となった。1958年の優勝曲「Nel blu dipinto blu(ヴォラーレ)」が、アメリカでミリオン・セラーを記録し、を受賞したことによって、サンレモ音楽祭は一躍世界的に認められ、その後も「Piove(チャオ・チャオ・バンビーナ)」「Al di la(アル・ディ・ラ)」をはじめ、多くの曲を生んでいる。1960年代に入ってもジリオラ・チンクェッティ、ボビー・ソロ、ウィルマ・ゴイクなどのスターを輩出し、コニー・フランシス、ポール・アンカ、ディオンヌ・ワーウィック、ヤードバーズなどの外国アーチストも出場。日本からも新宿音楽祭金賞歌手が本番組に派遣されたこともあり、また伊東ゆかりや岸洋子が参加し、カンツォーネ・ブームがおこるなど、サンレモ音楽祭は最盛期を迎えたが、1960年代末からはイタリア経済の衰退もあって、段々と楽曲のレベルが低下し、規模の縮小を余儀なくされた。それでも1980年代以降は回復傾向が見られ、新人賞の創設などの新機軸も取り入れられて、往時には及ばないまでも、高いレベルの音楽祭であり続けている。 (ja)
  • サンレモ音楽祭(イタリア語:Festival della canzone italiana)はイタリア・リグーリア州のサンレーモで開催されているポピュラー音楽の音楽祭。1951年より毎年開催されており、和訳では音楽祭とされているが「歌」に焦点が当てられている。 サンレモ音楽祭は1955年よりRAI Uno(イタリア放送協会の総合チャンネル)でイタリア全土に生中継されている。 最初は小規模な音楽祭に過ぎず、第1回(1951年)の出場歌手はわずか3組、応募した20曲を繰り回して歌っていた。その後、規模も順次拡大し、1953年から参加曲を2組のアーティストが歌う方式となった。1958年の優勝曲「Nel blu dipinto blu(ヴォラーレ)」が、アメリカでミリオン・セラーを記録し、を受賞したことによって、サンレモ音楽祭は一躍世界的に認められ、その後も「Piove(チャオ・チャオ・バンビーナ)」「Al di la(アル・ディ・ラ)」をはじめ、多くの曲を生んでいる。1960年代に入ってもジリオラ・チンクェッティ、ボビー・ソロ、ウィルマ・ゴイクなどのスターを輩出し、コニー・フランシス、ポール・アンカ、ディオンヌ・ワーウィック、ヤードバーズなどの外国アーチストも出場。日本からも新宿音楽祭金賞歌手が本番組に派遣されたこともあり、また伊東ゆかりや岸洋子が参加し、カンツォーネ・ブームがおこるなど、サンレモ音楽祭は最盛期を迎えたが、1960年代末からはイタリア経済の衰退もあって、段々と楽曲のレベルが低下し、規模の縮小を余儀なくされた。それでも1980年代以降は回復傾向が見られ、新人賞の創設などの新機軸も取り入れられて、往時には及ばないまでも、高いレベルの音楽祭であり続けている。 (ja)
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