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- カンボージャ(サンスクリット語: कम्बोज Kamboja)は、古代の西北インド一帯にいた部族、または国家。 仏典の一部(『長阿含経』中の「闍尼沙経」やアングッタラ・ニカーヤ)においてカンボージャは十六大国のひとつとされる。 カンボージャの位置は正確にはわからないが、ガンダーラと併称されており、おそらくインダス川の西北方にあったと考えられる。インドの諸文献ではカンボージャ人を粗暴野卑とする。 『マハーバーラタ』ではラージャプラ (Rajapura (Kamboja)) をカンボージャ人の都市としてあげる。『大唐西域記』の「遏羅闍補羅国」はラージャプラの音写であり、現在のRajaori(ジャンムー・カシミール州ラージャウリー)にあたる。 アショーカ王碑文では北西辺境の民族名としてカンボージャとヨーナの名が記されている。ヨーナはギリシア人のことであり、カンボージャはイラン系民族を指したと考えられる。カンビュセスの名もカンボージャと関連するという説がある。カーブル川左岸の民、あるいはアラム語(アケメネス朝の行政言語であった)で書かれたアショーカ王碑文が対象とした人々と考えられている。 (ja)
- カンボージャ(サンスクリット語: कम्बोज Kamboja)は、古代の西北インド一帯にいた部族、または国家。 仏典の一部(『長阿含経』中の「闍尼沙経」やアングッタラ・ニカーヤ)においてカンボージャは十六大国のひとつとされる。 カンボージャの位置は正確にはわからないが、ガンダーラと併称されており、おそらくインダス川の西北方にあったと考えられる。インドの諸文献ではカンボージャ人を粗暴野卑とする。 『マハーバーラタ』ではラージャプラ (Rajapura (Kamboja)) をカンボージャ人の都市としてあげる。『大唐西域記』の「遏羅闍補羅国」はラージャプラの音写であり、現在のRajaori(ジャンムー・カシミール州ラージャウリー)にあたる。 アショーカ王碑文では北西辺境の民族名としてカンボージャとヨーナの名が記されている。ヨーナはギリシア人のことであり、カンボージャはイラン系民族を指したと考えられる。カンビュセスの名もカンボージャと関連するという説がある。カーブル川左岸の民、あるいはアラム語(アケメネス朝の行政言語であった)で書かれたアショーカ王碑文が対象とした人々と考えられている。 (ja)
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- カンボージャ(サンスクリット語: कम्बोज Kamboja)は、古代の西北インド一帯にいた部族、または国家。 仏典の一部(『長阿含経』中の「闍尼沙経」やアングッタラ・ニカーヤ)においてカンボージャは十六大国のひとつとされる。 カンボージャの位置は正確にはわからないが、ガンダーラと併称されており、おそらくインダス川の西北方にあったと考えられる。インドの諸文献ではカンボージャ人を粗暴野卑とする。 『マハーバーラタ』ではラージャプラ (Rajapura (Kamboja)) をカンボージャ人の都市としてあげる。『大唐西域記』の「遏羅闍補羅国」はラージャプラの音写であり、現在のRajaori(ジャンムー・カシミール州ラージャウリー)にあたる。 アショーカ王碑文では北西辺境の民族名としてカンボージャとヨーナの名が記されている。ヨーナはギリシア人のことであり、カンボージャはイラン系民族を指したと考えられる。カンビュセスの名もカンボージャと関連するという説がある。カーブル川左岸の民、あるいはアラム語(アケメネス朝の行政言語であった)で書かれたアショーカ王碑文が対象とした人々と考えられている。 (ja)
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