イタリア南仏進駐領域(イタリア語: Occupazione italiana della Francia meridionale)は、第二次世界大戦中の1940年に成立した進駐領域であり、南仏東部に関してイタリア王国による占領統治が行われた。当初は伊仏国境の支配が主な役割であったが、1942年11月にヴィシー政権の全土占領化にともなうアントン作戦で新たにコルシカ島を含めるなど大きく領域を拡大した。 1943年9月8日に王国政府が連合国側と休戦を発表すると、南仏の地域はドイツ軍に占領され、1944年まで占領下にあった。