端平入洛(たんぺいじゅらく)は、南宋の端平元年(1234年)、金朝を挟撃して滅ぼしたモンゴル帝国と南宋が河南地方の領有をめぐって起こした紛争。北宋の旧都の開封・洛陽・南京を指す「三京」の回復を名分に掲げた南宋が河南への出兵を強行したが、モンゴルの反撃の前に惨敗し失敗に終わった。この紛争によりモンゴルと南宋は敵対関係に一変し、全面戦争に飛び火する切っ掛けとなった。