石橋山の戦い(いしばしやまのたたかい)は、平安時代末期の治承4年(1180年)に源頼朝と大庭景親ら平氏方との間で行われた戦いである。源氏軍は300騎に対して、平氏軍は3000騎で石橋山と、谷を一つ隔てて布陣した。治承・寿永の乱と呼ばれる諸戦役のひとつ。『義経記』では小早川の合戦と表記されている。 源頼朝は以仁王の令旨を奉じて挙兵。伊豆国目代山木兼隆を襲撃して殺害するが、続く石橋山の戦いで大敗を喫した。敗走した頼朝は山中に逃げ込み、船で安房国へ落ち延びてこの地で再挙することになる。