清拙正澄(せいせつ しょうちょう、咸淳10年1月3日(1274年2月11日) - 暦応2年/延元4年1月17日(1339年2月26日))は、鎌倉時代末期から南北朝時代の臨済宗の僧。諡は大鑑禅師。俗姓は劉。福州連江県の出身。月江正印は俗兄にあたる。 中国の元代の福州連江県に生まれ、鎌倉時代末期に来日してからは北条氏の庇護を受け、南禅寺や建長寺ほか五山派寺院の住持を歴任した。大鑑派の祖である。