本能寺の変(ほんのうじのへん)は、天正10年6月2日(1582年6月21日)早朝、京都本能寺に滞在中の織田信長を家臣・明智光秀が突如謀反を起こして襲撃した事件である。 信長は寝込みを襲われ、包囲されたのを悟ると、寺に火を放ち自害して果てた。信長の嫡男で織田家当主・織田信忠は、宿泊していた妙覚寺から二条御新造に移って抗戦したが、まもなく火を放って自刃した。これにより信長、信忠を失った織田政権は瓦解。6月13日の山崎の戦いで光秀を破った羽柴秀吉が豊臣政権を構築していく契機となった。