周枳井溝(すきいみぞ)は、1672年(寛文12年)に完成した周枳村(現・京都府京丹後市大宮町周枳)の田圃に水を引くための用水路である。隣村・地内に大堰を設けて谷内・を経由し、周枳まで引水したもので、米800石(約2,000俵)の田圃に水を供給した。 1973年(昭和48年)、竹野川の全面的な河川改修工事で周枳井溝は他の堰と統合して廃止され、21世紀現在には三坂から周枳公民館付近までの水路にのみにその痕跡を留める。撤去された堰に使われていた石材の1本を用い、1978年(昭和53年)に「石明神遺蹟」が建立された。