佐渡沖地震(さどおきじしん)は、1762年10月31日(宝暦12年9月15日)に、佐渡付近で発生した地震。地震の規模はM7.0程度。石垣、家屋が破損し、死者が出た。 震央は佐渡海峡付近とみられる。による「佐渡国略記」に被害が記されている。相川、真野、新潟などでは現在の震度階級にして震度5強程度の揺れと推定されている。相川では家屋や寺院の石垣が被害を受け、武士の長屋が破損した。また、金山で働いていた石工1人が、落石で死亡した。順徳天皇の陵でも石垣が崩れた。当時、天皇の陵は島南西部の真野にあった。新潟(本州側)では砂水の噴出があった。一部では液状化現象なども見られたという。 この地震では津波が発生し、その高さは願で15.4m、北鵜島で5.6mと推定されている。鵜島村で津波により家屋流出26棟の被害があった。島北端では津波で集落が壊滅し、家屋約60軒が流失した。

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  • 佐渡沖地震(さどおきじしん)は、1762年10月31日(宝暦12年9月15日)に、佐渡付近で発生した地震。地震の規模はM7.0程度。石垣、家屋が破損し、死者が出た。 震央は佐渡海峡付近とみられる。による「佐渡国略記」に被害が記されている。相川、真野、新潟などでは現在の震度階級にして震度5強程度の揺れと推定されている。相川では家屋や寺院の石垣が被害を受け、武士の長屋が破損した。また、金山で働いていた石工1人が、落石で死亡した。順徳天皇の陵でも石垣が崩れた。当時、天皇の陵は島南西部の真野にあった。新潟(本州側)では砂水の噴出があった。一部では液状化現象なども見られたという。 この地震では津波が発生し、その高さは願で15.4m、北鵜島で5.6mと推定されている。鵜島村で津波により家屋流出26棟の被害があった。島北端では津波で集落が壊滅し、家屋約60軒が流失した。 (ja)
  • 佐渡沖地震(さどおきじしん)は、1762年10月31日(宝暦12年9月15日)に、佐渡付近で発生した地震。地震の規模はM7.0程度。石垣、家屋が破損し、死者が出た。 震央は佐渡海峡付近とみられる。による「佐渡国略記」に被害が記されている。相川、真野、新潟などでは現在の震度階級にして震度5強程度の揺れと推定されている。相川では家屋や寺院の石垣が被害を受け、武士の長屋が破損した。また、金山で働いていた石工1人が、落石で死亡した。順徳天皇の陵でも石垣が崩れた。当時、天皇の陵は島南西部の真野にあった。新潟(本州側)では砂水の噴出があった。一部では液状化現象なども見られたという。 この地震では津波が発生し、その高さは願で15.4m、北鵜島で5.6mと推定されている。鵜島村で津波により家屋流出26棟の被害があった。島北端では津波で集落が壊滅し、家屋約60軒が流失した。 (ja)
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  • 佐渡沖地震(さどおきじしん)は、1762年10月31日(宝暦12年9月15日)に、佐渡付近で発生した地震。地震の規模はM7.0程度。石垣、家屋が破損し、死者が出た。 震央は佐渡海峡付近とみられる。による「佐渡国略記」に被害が記されている。相川、真野、新潟などでは現在の震度階級にして震度5強程度の揺れと推定されている。相川では家屋や寺院の石垣が被害を受け、武士の長屋が破損した。また、金山で働いていた石工1人が、落石で死亡した。順徳天皇の陵でも石垣が崩れた。当時、天皇の陵は島南西部の真野にあった。新潟(本州側)では砂水の噴出があった。一部では液状化現象なども見られたという。 この地震では津波が発生し、その高さは願で15.4m、北鵜島で5.6mと推定されている。鵜島村で津波により家屋流出26棟の被害があった。島北端では津波で集落が壊滅し、家屋約60軒が流失した。 (ja)
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