中原 基兼(なかはら の もとかね、生没年未詳)は、平安時代末期の北面武士。後白河法皇の近臣。山城国守。 安元元年(1177年)6月4日、鹿ケ谷の陰謀に加担したとして、平清盛によって解官され、清盛の屋敷に法皇近習5名と共に連行される。奥州へ配流された後、藤原秀衡の庇護を受け彼の国を廻っていたという。九条兼実は『玉葉』(文治3年9月29日条)で、基兼をかつての法皇の近臣で「凶悪人」と書いている。 文治3年(1187年)4月、奥州へ圧力をかける源頼朝が秀衡に対し、基兼の身柄を京に戻すよう要請し、秀衡が拒否するというやり取りがなされている。
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