鬼界ヶ島(きかいがしま)とは、平安時代末期の1177年(治承元年)の鹿ケ谷の陰謀により、俊寛、平康頼、藤原成経が流罪にされた島。「鬼界島」は南の遠国の島を指す一般名詞でもあり、古代以降、日本の南端と西端の地として長い間認識されていた。広義には南島諸島の総称として用いられ、鎌倉時代以後は十二島として薩摩国河辺郡に属した。