高貴な野蛮人(こうきなやばんじん、noble savage)とは、創作物におけるストックキャラクターで、先住民、アウトサイダー、未開人、(哲学的な意味での)他者、といったものの概念を具現化したものである。彼らは文明に汚染されておらず、従って人間の本来の美徳を象徴する。様々なフィクション作品や哲学書に登場することに加えて、そのステレオタイプな偏見は初期の人類学の研究においても多用されていた。 このフレーズは、英語においては17世紀にジョン・ドライデンが執筆した英雄劇『グラナダの征服(en:The Conquest of Granada)』(1672年)で初めて登場した。「Savage(野蛮)」という単語は当時、「野生の獣」と言う意味だけでなく「未開の人間」と言う意味でもあったが、後に18世紀の感情主義の影響もあって「自然の中の紳士」という理想化されたイメージと同一視されるようになった。1851年、イギリスの小説家チャールズ・ディケンズが風刺的なエッセイのタイトルとして「高貴な野蛮人」の語句を皮肉的に使用したことにより、以後このフレーズは撞着語法(矛盾語法、互いに矛盾する2つの語句をくっつけた語法)を用いた修辞的な表現として広く知られるようになった。ディケンズは、18世紀から19世紀初期にかけての浪漫的において、「女性的」な感傷性と彼が考えたものから縁を切りたいと思っていたのだろう、と言う説がある。

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  • 高貴な野蛮人(こうきなやばんじん、noble savage)とは、創作物におけるストックキャラクターで、先住民、アウトサイダー、未開人、(哲学的な意味での)他者、といったものの概念を具現化したものである。彼らは文明に汚染されておらず、従って人間の本来の美徳を象徴する。様々なフィクション作品や哲学書に登場することに加えて、そのステレオタイプな偏見は初期の人類学の研究においても多用されていた。 このフレーズは、英語においては17世紀にジョン・ドライデンが執筆した英雄劇『グラナダの征服(en:The Conquest of Granada)』(1672年)で初めて登場した。「Savage(野蛮)」という単語は当時、「野生の獣」と言う意味だけでなく「未開の人間」と言う意味でもあったが、後に18世紀の感情主義の影響もあって「自然の中の紳士」という理想化されたイメージと同一視されるようになった。1851年、イギリスの小説家チャールズ・ディケンズが風刺的なエッセイのタイトルとして「高貴な野蛮人」の語句を皮肉的に使用したことにより、以後このフレーズは撞着語法(矛盾語法、互いに矛盾する2つの語句をくっつけた語法)を用いた修辞的な表現として広く知られるようになった。ディケンズは、18世紀から19世紀初期にかけての浪漫的において、「女性的」な感傷性と彼が考えたものから縁を切りたいと思っていたのだろう、と言う説がある。 「人間は本質的には善である」と言う考えは、イギリスの立憲君主制の確立期においてホイッグ党の支持者であった第3代シャフツベリ伯爵(アントニー・アシュリー=クーパー)が元祖であるとしばしばみなされている。シャフツベリ伯爵は彼の著書『美徳についての考察』(1699年)において、人間の道徳感は特定の宗教による教化の結果として生じたものではなく、自然発生的で、先天的で、感情に基づいたものであると仮定していた(道徳感覚学派)。シャフツベリーは、トマス・ホッブズがその著書『リヴァイアサン』の第13章において行った絶対中央集権制の正当化(この中でホッブスは、自然状態とは「万人の万人に対する闘争」であり、その状態における人間の生命は「孤独で、貧乏で、不愉快で、下賤で、短い」と語っているのは有名である)に対して反対した。ホッブズはさらに、そのような状態で生活している現代人の例としてアメリカン・インディアンを挙げた。著作家は古来より、その時代の基準で「文明」とみなしうる範囲の枠外の環境において生活している人々を描写してきたが、「自然状態」という用語を発明したのはホッブスであると考えられている。哲学者のは「ホッブズがこの便利な用語を発明したようだ」と書いている。 なお「高貴な野蛮人」と言う用語はジャン・ジャック・ルソーが使った(フランス語のbon sauvage)としばしば信じられているが、これは事実に反する。しかし、後に「高貴な野蛮人」と言う用語で表現されるようになる類型的なキャラクターは、少なくとも16世紀のジャック・カルティエ(ケベックを植民地化した人物。イロコイ族について語ったもの)およびミシェル・ド・モンテーニュ(哲学者。について語ったもの)の時点で既にフランス文学に登場している。 (ja)
  • 高貴な野蛮人(こうきなやばんじん、noble savage)とは、創作物におけるストックキャラクターで、先住民、アウトサイダー、未開人、(哲学的な意味での)他者、といったものの概念を具現化したものである。彼らは文明に汚染されておらず、従って人間の本来の美徳を象徴する。様々なフィクション作品や哲学書に登場することに加えて、そのステレオタイプな偏見は初期の人類学の研究においても多用されていた。 このフレーズは、英語においては17世紀にジョン・ドライデンが執筆した英雄劇『グラナダの征服(en:The Conquest of Granada)』(1672年)で初めて登場した。「Savage(野蛮)」という単語は当時、「野生の獣」と言う意味だけでなく「未開の人間」と言う意味でもあったが、後に18世紀の感情主義の影響もあって「自然の中の紳士」という理想化されたイメージと同一視されるようになった。1851年、イギリスの小説家チャールズ・ディケンズが風刺的なエッセイのタイトルとして「高貴な野蛮人」の語句を皮肉的に使用したことにより、以後このフレーズは撞着語法(矛盾語法、互いに矛盾する2つの語句をくっつけた語法)を用いた修辞的な表現として広く知られるようになった。ディケンズは、18世紀から19世紀初期にかけての浪漫的において、「女性的」な感傷性と彼が考えたものから縁を切りたいと思っていたのだろう、と言う説がある。 「人間は本質的には善である」と言う考えは、イギリスの立憲君主制の確立期においてホイッグ党の支持者であった第3代シャフツベリ伯爵(アントニー・アシュリー=クーパー)が元祖であるとしばしばみなされている。シャフツベリ伯爵は彼の著書『美徳についての考察』(1699年)において、人間の道徳感は特定の宗教による教化の結果として生じたものではなく、自然発生的で、先天的で、感情に基づいたものであると仮定していた(道徳感覚学派)。シャフツベリーは、トマス・ホッブズがその著書『リヴァイアサン』の第13章において行った絶対中央集権制の正当化(この中でホッブスは、自然状態とは「万人の万人に対する闘争」であり、その状態における人間の生命は「孤独で、貧乏で、不愉快で、下賤で、短い」と語っているのは有名である)に対して反対した。ホッブズはさらに、そのような状態で生活している現代人の例としてアメリカン・インディアンを挙げた。著作家は古来より、その時代の基準で「文明」とみなしうる範囲の枠外の環境において生活している人々を描写してきたが、「自然状態」という用語を発明したのはホッブスであると考えられている。哲学者のは「ホッブズがこの便利な用語を発明したようだ」と書いている。 なお「高貴な野蛮人」と言う用語はジャン・ジャック・ルソーが使った(フランス語のbon sauvage)としばしば信じられているが、これは事実に反する。しかし、後に「高貴な野蛮人」と言う用語で表現されるようになる類型的なキャラクターは、少なくとも16世紀のジャック・カルティエ(ケベックを植民地化した人物。イロコイ族について語ったもの)およびミシェル・ド・モンテーニュ(哲学者。について語ったもの)の時点で既にフランス文学に登場している。 (ja)
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  • February 2018 (ja)
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  • debate about the goodness of man goes back much earlier, in Christian philosophy, original sin is the concept of people being born with inherent sinfulness (ja)
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  • 高貴な野蛮人(こうきなやばんじん、noble savage)とは、創作物におけるストックキャラクターで、先住民、アウトサイダー、未開人、(哲学的な意味での)他者、といったものの概念を具現化したものである。彼らは文明に汚染されておらず、従って人間の本来の美徳を象徴する。様々なフィクション作品や哲学書に登場することに加えて、そのステレオタイプな偏見は初期の人類学の研究においても多用されていた。 このフレーズは、英語においては17世紀にジョン・ドライデンが執筆した英雄劇『グラナダの征服(en:The Conquest of Granada)』(1672年)で初めて登場した。「Savage(野蛮)」という単語は当時、「野生の獣」と言う意味だけでなく「未開の人間」と言う意味でもあったが、後に18世紀の感情主義の影響もあって「自然の中の紳士」という理想化されたイメージと同一視されるようになった。1851年、イギリスの小説家チャールズ・ディケンズが風刺的なエッセイのタイトルとして「高貴な野蛮人」の語句を皮肉的に使用したことにより、以後このフレーズは撞着語法(矛盾語法、互いに矛盾する2つの語句をくっつけた語法)を用いた修辞的な表現として広く知られるようになった。ディケンズは、18世紀から19世紀初期にかけての浪漫的において、「女性的」な感傷性と彼が考えたものから縁を切りたいと思っていたのだろう、と言う説がある。 (ja)
  • 高貴な野蛮人(こうきなやばんじん、noble savage)とは、創作物におけるストックキャラクターで、先住民、アウトサイダー、未開人、(哲学的な意味での)他者、といったものの概念を具現化したものである。彼らは文明に汚染されておらず、従って人間の本来の美徳を象徴する。様々なフィクション作品や哲学書に登場することに加えて、そのステレオタイプな偏見は初期の人類学の研究においても多用されていた。 このフレーズは、英語においては17世紀にジョン・ドライデンが執筆した英雄劇『グラナダの征服(en:The Conquest of Granada)』(1672年)で初めて登場した。「Savage(野蛮)」という単語は当時、「野生の獣」と言う意味だけでなく「未開の人間」と言う意味でもあったが、後に18世紀の感情主義の影響もあって「自然の中の紳士」という理想化されたイメージと同一視されるようになった。1851年、イギリスの小説家チャールズ・ディケンズが風刺的なエッセイのタイトルとして「高貴な野蛮人」の語句を皮肉的に使用したことにより、以後このフレーズは撞着語法(矛盾語法、互いに矛盾する2つの語句をくっつけた語法)を用いた修辞的な表現として広く知られるようになった。ディケンズは、18世紀から19世紀初期にかけての浪漫的において、「女性的」な感傷性と彼が考えたものから縁を切りたいと思っていたのだろう、と言う説がある。 (ja)
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  • 高貴な野蛮人 (ja)
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