高橋 至時(たかはし よしとき、明和元年11月30日(1764年12月22日) - 享和4年1月5日(1804年2月15日)は、江戸時代後期の天文学者。天文方に任命され、寛政暦への改暦作業において、間重富とともに中心的な役割を果たした。また、伊能忠敬の師としても知られる。子に天文学者で伊能忠敬の没後「大日本沿海輿地全図」を完成させた高橋景保、天保改暦を主導した渋川景佑がいる。