高徳寺(こうとくじ)は岐阜県中津川市蛭川にある臨済宗妙心寺派の寺院で、山号は宝林山。本尊の十一面観音菩薩は恵那三十三観音30番、境内の蛙薬師は中部四十九薬師35番の札所本尊となっている。 伝説によれば元中3年/至徳3年(1387年)南朝の尹良親王が当地の巨岩の下に薬師如来を奉安したと伝わる。この巨岩が蛙の形をしていたため、蛙薬師と呼ばれるようになった。その後、天正13年(1544年)に木曽川で洪水が起きた際に木曽義仲の紋章のある厨子が流れ着いたため、別に堂を設けて祀った。延宝2年(1674年)に苗木藩主遠山友春が宗雲を開山として堂宇を整備し、普門院と名付けた。明治時代に至って苗木藩の廃仏毀釈運動により廃寺となるが、苗木雲林寺最後の住職の剛宗宗載が岐阜県山県郡の高徳寺を移転させる形で再興を果たした。

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  • 高徳寺(こうとくじ)は岐阜県中津川市蛭川にある臨済宗妙心寺派の寺院で、山号は宝林山。本尊の十一面観音菩薩は恵那三十三観音30番、境内の蛙薬師は中部四十九薬師35番の札所本尊となっている。 伝説によれば元中3年/至徳3年(1387年)南朝の尹良親王が当地の巨岩の下に薬師如来を奉安したと伝わる。この巨岩が蛙の形をしていたため、蛙薬師と呼ばれるようになった。その後、天正13年(1544年)に木曽川で洪水が起きた際に木曽義仲の紋章のある厨子が流れ着いたため、別に堂を設けて祀った。延宝2年(1674年)に苗木藩主遠山友春が宗雲を開山として堂宇を整備し、普門院と名付けた。明治時代に至って苗木藩の廃仏毀釈運動により廃寺となるが、苗木雲林寺最後の住職の剛宗宗載が岐阜県山県郡の高徳寺を移転させる形で再興を果たした。 (ja)
  • 高徳寺(こうとくじ)は岐阜県中津川市蛭川にある臨済宗妙心寺派の寺院で、山号は宝林山。本尊の十一面観音菩薩は恵那三十三観音30番、境内の蛙薬師は中部四十九薬師35番の札所本尊となっている。 伝説によれば元中3年/至徳3年(1387年)南朝の尹良親王が当地の巨岩の下に薬師如来を奉安したと伝わる。この巨岩が蛙の形をしていたため、蛙薬師と呼ばれるようになった。その後、天正13年(1544年)に木曽川で洪水が起きた際に木曽義仲の紋章のある厨子が流れ着いたため、別に堂を設けて祀った。延宝2年(1674年)に苗木藩主遠山友春が宗雲を開山として堂宇を整備し、普門院と名付けた。明治時代に至って苗木藩の廃仏毀釈運動により廃寺となるが、苗木雲林寺最後の住職の剛宗宗載が岐阜県山県郡の高徳寺を移転させる形で再興を果たした。 (ja)
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  • 高徳寺(こうとくじ)は岐阜県中津川市蛭川にある臨済宗妙心寺派の寺院で、山号は宝林山。本尊の十一面観音菩薩は恵那三十三観音30番、境内の蛙薬師は中部四十九薬師35番の札所本尊となっている。 伝説によれば元中3年/至徳3年(1387年)南朝の尹良親王が当地の巨岩の下に薬師如来を奉安したと伝わる。この巨岩が蛙の形をしていたため、蛙薬師と呼ばれるようになった。その後、天正13年(1544年)に木曽川で洪水が起きた際に木曽義仲の紋章のある厨子が流れ着いたため、別に堂を設けて祀った。延宝2年(1674年)に苗木藩主遠山友春が宗雲を開山として堂宇を整備し、普門院と名付けた。明治時代に至って苗木藩の廃仏毀釈運動により廃寺となるが、苗木雲林寺最後の住職の剛宗宗載が岐阜県山県郡の高徳寺を移転させる形で再興を果たした。 (ja)
  • 高徳寺(こうとくじ)は岐阜県中津川市蛭川にある臨済宗妙心寺派の寺院で、山号は宝林山。本尊の十一面観音菩薩は恵那三十三観音30番、境内の蛙薬師は中部四十九薬師35番の札所本尊となっている。 伝説によれば元中3年/至徳3年(1387年)南朝の尹良親王が当地の巨岩の下に薬師如来を奉安したと伝わる。この巨岩が蛙の形をしていたため、蛙薬師と呼ばれるようになった。その後、天正13年(1544年)に木曽川で洪水が起きた際に木曽義仲の紋章のある厨子が流れ着いたため、別に堂を設けて祀った。延宝2年(1674年)に苗木藩主遠山友春が宗雲を開山として堂宇を整備し、普門院と名付けた。明治時代に至って苗木藩の廃仏毀釈運動により廃寺となるが、苗木雲林寺最後の住職の剛宗宗載が岐阜県山県郡の高徳寺を移転させる形で再興を果たした。 (ja)
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