露館播遷(ろかんはせん、ろかんばんせん、朝鮮語: 아관파천、1896年2月11日 - 1897年2月20日)または高宗ロシア公館亡命(ロシア語: Бегство Коджона в русскую миссию)は、李氏朝鮮の第26代王・高宗がロシア公使館に逃亡した事件を言う。在朝鮮ロシア総領事のカール・イバノビッチ・ヴェーバーが個人的に貞洞のロシア公使館の建物を避難所として高宗に提供した。韓国でも古くは日本語での表記と同じように「露館播遷」と呼ばれたが、最近では俄館播遷(がかんはせん、(「がかんはんせん」とも)と呼ばれることが多い。俄館露遷(がかんろせん)との記述もある。