雲林院 弥四郎(うじい やしろう、天正9年(1581年) - 寛文9年(1669年))は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての柳生流の兵法家。諱は光成(みつなり)。出羽守とも伝わる。宮本武蔵の伝記『二天記』での記述から、武蔵と立ち合った最後の人物と紹介される事もあるが、同時代の一次史料はなく、研究者からは事実ではないと認識されている。