阿部光子(あべ みつこ、1912年12月25日 - 2008年2月26日)は、作家、キリスト教伝道者。本名、山室光(みつ)。 東京生まれ。父は徳富蘇峰と国民新聞を創設した。左翼運動に参加したと見られ留置されて日本女子大学校中退。自殺した岩倉靖子も同期だった。1944年救世軍の指導者山室軍平の長男・山室武甫と結婚。佐佐木信綱、に師事して和歌・国文学を学び、救世軍士官(牧師)としてキリスト教伝道に従事しながら小説を書いた。1962年ころ、50歳近くなって日本聖書神学校に入る(1969年に卒業)。その後日本基督教団和泉多摩川教会の牧師となった(1968年より2003年まで牧会)。 1941年「猫柳」で第13回芥川賞候補。1964年「遅い目覚めながらも」「神学校一年生」で田村俊子賞を、1968年『遅い目覚めながらも』で女流文学賞を受賞。 1994年これらの功績が認められ、日本キリスト教文化協会よりキリスト教功労者の表彰を受ける。

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  • 阿部光子(あべ みつこ、1912年12月25日 - 2008年2月26日)は、作家、キリスト教伝道者。本名、山室光(みつ)。 東京生まれ。父は徳富蘇峰と国民新聞を創設した。左翼運動に参加したと見られ留置されて日本女子大学校中退。自殺した岩倉靖子も同期だった。1944年救世軍の指導者山室軍平の長男・山室武甫と結婚。佐佐木信綱、に師事して和歌・国文学を学び、救世軍士官(牧師)としてキリスト教伝道に従事しながら小説を書いた。1962年ころ、50歳近くなって日本聖書神学校に入る(1969年に卒業)。その後日本基督教団和泉多摩川教会の牧師となった(1968年より2003年まで牧会)。 1941年「猫柳」で第13回芥川賞候補。1964年「遅い目覚めながらも」「神学校一年生」で田村俊子賞を、1968年『遅い目覚めながらも』で女流文学賞を受賞。 1994年これらの功績が認められ、日本キリスト教文化協会よりキリスト教功労者の表彰を受ける。 (ja)
  • 阿部光子(あべ みつこ、1912年12月25日 - 2008年2月26日)は、作家、キリスト教伝道者。本名、山室光(みつ)。 東京生まれ。父は徳富蘇峰と国民新聞を創設した。左翼運動に参加したと見られ留置されて日本女子大学校中退。自殺した岩倉靖子も同期だった。1944年救世軍の指導者山室軍平の長男・山室武甫と結婚。佐佐木信綱、に師事して和歌・国文学を学び、救世軍士官(牧師)としてキリスト教伝道に従事しながら小説を書いた。1962年ころ、50歳近くなって日本聖書神学校に入る(1969年に卒業)。その後日本基督教団和泉多摩川教会の牧師となった(1968年より2003年まで牧会)。 1941年「猫柳」で第13回芥川賞候補。1964年「遅い目覚めながらも」「神学校一年生」で田村俊子賞を、1968年『遅い目覚めながらも』で女流文学賞を受賞。 1994年これらの功績が認められ、日本キリスト教文化協会よりキリスト教功労者の表彰を受ける。 (ja)
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  • 阿部光子(あべ みつこ、1912年12月25日 - 2008年2月26日)は、作家、キリスト教伝道者。本名、山室光(みつ)。 東京生まれ。父は徳富蘇峰と国民新聞を創設した。左翼運動に参加したと見られ留置されて日本女子大学校中退。自殺した岩倉靖子も同期だった。1944年救世軍の指導者山室軍平の長男・山室武甫と結婚。佐佐木信綱、に師事して和歌・国文学を学び、救世軍士官(牧師)としてキリスト教伝道に従事しながら小説を書いた。1962年ころ、50歳近くなって日本聖書神学校に入る(1969年に卒業)。その後日本基督教団和泉多摩川教会の牧師となった(1968年より2003年まで牧会)。 1941年「猫柳」で第13回芥川賞候補。1964年「遅い目覚めながらも」「神学校一年生」で田村俊子賞を、1968年『遅い目覚めながらも』で女流文学賞を受賞。 1994年これらの功績が認められ、日本キリスト教文化協会よりキリスト教功労者の表彰を受ける。 (ja)
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