長谷川 雪旦(はせがわ せったん、安永7年〈1778年〉- 天保14年1月28日〈1843年2月26日〉)は、江戸時代後期の日本の絵師。本名は 後藤 茂右衛門(読み:ごとう しげえもん、もしくは、- もえもん)。氏姓は後藤を名乗るが、本姓は金沢である可能性が高い。画姓は長谷川を名乗る。名は宗秀(むねひで)。通称は、後藤 右衛門(ごとう うえもん)、茂右衛門(読み:しげえもん、もしくは、もえもん)、長之助(ちょうのすけ)。画号は、雪旦のほか、一陽庵(いちようあん)・巌岳斎(がんがくさい)・岩岳斎・嵒岳斎が知られている。俳号は五楽(読み:ごがく、もしくは、ごらく )。著名な親族としては子の(絵師)がいる。 『』(1834-1836年刊)・『』(1838年刊)の挿図絵師として、また、唐津藩および尾張藩の御用絵師として知られる。